子生明社|あきる野市小中野の神社

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子生明社|旧村社、子孫繁栄、安産子育の神

子生明社の概要

子生明社は、あきる野市小中野にある神社です。子生明社は、両部神道修験者阿闇梨法印朱学院が、持参していた神像の入った厨子を永正元年(1504)当地に奉安、当地村民の安産子育祈祷を行ったことから、永正3年(1506)に社殿を改修して産土神として奉斎、現在に至るまで子孫繁栄、安産子育の神として、遠近妊婦より崇敬を集めています。

子生明社
子生明社の概要
社号 子生明社
祭神 猿田彦命、木花開耶姫命
相殿 -
境内社 -
住所 あきる野市小中野187
祭日 例祭4月第三日曜日
備考 境外社:小中野大鳥明社



子生明社の由緒

子生明社は、両部神道修験者阿闇梨法印朱学院が、持参していた神像の入った厨子を永正元年(1504)当地に奉安、当地村民の安産子育祈祷を行ったことから、永正3年(1506)に社殿を改修して産土神として奉斎、現在に至るまで子孫繁栄、安産子育の神として、遠近妊婦より崇敬を集めています。

東京都神社名鑑による子生明社の由緒

創立年月日不詳。社伝に永正元年(一五〇四)両部神道修験者阿闍梨法印朱学院の創建という。永正三年(一五〇六)産土神として社殿改修現在に主る。昭和四十九年本殿覆舎および拝殿を改築して旧観を改めた。創建以来、子孫繁栄、安産子育の神として、遠近妊婦の崇敬が厚い。(東京都神社名鑑より)

「五日市町史」による子生明社の由緒

子生明社
小中野字子生前一八七番地に鎮座、小中野全域が氏子区域である。猿田彦神・木花開耶姫命を祀る。明治六年十二月に村社に列格、子育安産の守護神として広く崇敬され、昭和初期ごろまでは四月十五日の例祭には、新婦が竹柄杓を奉納して安産を祈願する者多く、社殿の正面にも柄長二メートルもある大柄杓が掲げてあった。境内地には老杉が聳えている。
当社の創立年月は未詳であるが、祭祀由来について、次のような社伝がある。
永正元年(一五〇四)、両部神道修験者阿闇梨法印朱学院という聖僧が、数十年間諸国巡歴修行中、起居を共にし、奉斎し、信仰せる南蛮鉄彫刻で、黄金の劔を把持する悪魔降伏開運の神、猿田彦神の坐像と、子孫繁栄、安産、子女息災の守護神、木花開耶姫命の立像を奉安せる厨子を奉斎するため、秋川に臨む清雅幽潔な現在地に、神地を定め社殿を営んだのがはじめといわれる。その後、万民繁栄の勤行怠りなく、安産子育の祈禱も行ったので、その霊験日に日に顕著となり、遠近より崇敬者踵を接するようになったため、当地の住民相謀って、永正三年(一五〇六)、当社を産土神として奉斎、社殿を改修して現在に至るという。昭和四十九年四月、本殿覆舎および拝殿を改築して旧観を改めた。(「五日市町史」より)

新編武蔵風土記稿による子生明社の由緒

(小中野村)
子安明神社
村の西の方にあり、三間に二間の社にて、神體は鑄像の坐形、長三寸許り、勧請の年歴および祭神を詳かにせず、例祭は毎年三月十五日なり、安養寺の持なり、(新編武蔵風土記稿より)


子生明社の由緒

  • 子生神社本殿(あきる野市指定有形文化財)

子生神社本殿

江戸時代後期の弘化四年(一八四七)の建築で、構造は一間社流れ造です。屋根は薄い板を重ね合わせた「こけら葺」と呼ばれる葺き方で、軒唐破風と千鳥破風が付けられています。扁額や彫刻に記された文字から、大工「高階菊治郎邦直」や彫工「小川慶三良」の名がわかります。建築全体に渡って見事な彫刻や装飾が施され、保存状態も良く、江戸後期の本殿建築の様式を伝える社殿として貴重なものです。(あきる野市教育委員会掲示より)

子生明社の周辺図

参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「五日市町史」
  • 東京都神社名鑑