稲足神社|野村専太郎氏夫妻の尽力で平成元年に当地へ遷座
稲足神社の概要
稲足神社は、あきる野市菅生(小名)にある神社です。稲足神社は、発掘された石碑により寛文9年(1670)に創祀したものと考えられ、亀戸水神西に鎮座、明治6年亀戸香取神社の境内に移転、祀られていたといいます。元衆議院議員で明治神宮責任役員総代・東京都神社総代会顧問だった野村専太郎氏夫妻の尽力により平成元年この社を当地へ遷座、日本初の神道霊園を開園しています。境内の韋駄天尊神は、野村専太郎氏の生地東京都新宿区西新宿3丁目に祀られている神を勧請したものです。
社号 | 稲足神社 |
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祭神 | 面足尊、惶根尊 |
相殿 | - |
境内社 | 韋駄天尊神社 |
住所 | あきる野市菅生871 |
祭日 | 9月29日 |
備考 | - |
稲足神社の由緒
稲足神社は、発掘された石碑により寛文9年(1670)に創祀したものと考えられ、亀戸水神西に鎮座、明治6年亀戸香取神社の境内に移転、祀られていたといいます。元衆議院議員で明治神宮責任役員総代・東京都神社総代会顧問だった野村専太郎氏夫妻の尽力により平成元年この社を当地へ遷座、日本初の神道霊園を開園しています。境内の韋駄天尊神は、野村専太郎氏の生地東京都新宿区西新宿3丁目に祀られている神を勧請したものです。
境内掲示による稲足神社の由緒
創祀
東京府葛飾郡亀戸町香取神社境内土中より発掘せる石碑の名號の裏に寛文九年七月十日(一六七〇年)とあれば寛文年間の創祀と考察される。
遷座
明治六年一月亀戸町字水神西より同町香取神社移転。平成元年三月十五日東京都秋川市菅生字下八七一番地に野村専太郎御夫妻が物心両面に亘る健康と長寿は神等の御加護によるものと御神徳に対し報恩感謝の誠を捧げ此の地に遷座を果した。
韋駄天尊神は東京都新宿区西新宿三丁目二番地九に於て当地の守護神として御加護を賜り稲足神社御遷座と共に分神合祀をされた。(境内掲示より)
稲足神社栞による稲足神社の由緒
寛文九年(一六七〇年)の創立。明治以前は東京都江東区亀戸の真言宗普門院の主管であったが明治元年亀戸香取神社の奉仕となる。その後香取神社の一隅に在る末社的神社として歩んできたが、香取神社社殿建て替えに伴い昭和六十三年四月独立した神社としてこの地に遷座された。以来崇敬神社として地元民のみならず広く遠方より参拝者が絶えない。(稲足神社栞より)
東京都神社名鑑による稲足神社の由緒
平成年間に遷座のため記載なし(東京都神社名鑑より)
「秋川市史」による稲足神社の由緒
平成年間に遷座のため記載なし(「秋川市史」より)
新編武蔵風土記稿による稲足神社の由緒
(菅生村)
平成年間に遷座のため記載なし(新編武蔵風土記稿より)
稲足神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「秋川市史」
- 東京都神社名鑑