星竹神明社|山下主殿邦広の二男宗内義親が村民と謀り勧請
星竹神明社の概要
星竹神明社は、あきる野市戸倉にある神社です。星竹神明社は、山下主殿邦広の二男宗内義親が永享4年(1432)当地に移住、翌年当社を勧請し、戸倉村字星竹の産土神としたといいます。
社号 | 大鳥明社 |
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祭神 | 天照皇大神 |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷神社 |
住所 | あきる野市戸倉1041 |
祭日 | 例祭2月21日 |
備考 | - |
星竹神明社の由緒
星竹神明社は、山下主殿邦広の二男宗内義親が永享4年(1432)当地に移住、翌年当社を勧請し、戸倉村字星竹の産土神としたといいます。
東京都神社名鑑による星竹神明社の由緒
創立年代不詳。社伝に永享四年(一四三二)桓武平氏の後胤、山下主殿邦広の二男宗内義親が、足利義政が富士遊猟のさいこれに従い、事故あって本村に居住し、翌年村民とはかって当社を祀り、星竹の産土神としたという。(東京都神社名鑑より)
「五日市町史」による星竹神明社の由緒
神明社
戸倉の星竹一〇四一番地に鎮座する。祭神は天照大神である。創立は未詳であるが、社伝によれば桓武平氏の後胤、山下主殿邦広の二男宗内義親が、永享四年(一四三二)に、足利義教が富士遊猟の際これに従い、事故があり、本村に住みつき、同五年、村民の黒山某と謀って当社を祀り、星竹の産土神としたという。
境内末社に稲荷神社がある。社殿は明治四十五年に改築したものである。例祭日は二月二十一日。旧社格は村社である。(「五日市町史」より)
新編武蔵風土記稿による星竹神明社の由緒
(戸倉村)神明社
社地百歩、年貢地、字星竹にあり、鎮座の年代詳ならず、星竹の百姓等が持にして、則産神なり、本社は南向にて覆屋あり、白幣を神體とす、社前に鳥居をたつ、例祭は年々二月廿一日、春日祠官鈴木掃部祭事を司る、(新編武蔵風土記稿より)
星竹神明社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「五日市町史」