山田天神社|瑞雲尼が貞治・応安年間に創建
山田天神社の概要
山田天神社は、あきる野市山田にある神社です。山田天神社の創建年代等は不詳ながら、貞治・応安年間(1362-1374)に(足利基氏の母で瑞雲寺を創建した)瑞雲尼が創建したと伝えられ、江戸期には山田村下分の鎮守として祀られていました。明治3年社号を天満宮・天満天神社から天神社へ改め、村社に列格していました。
社号 | 天神社 |
---|---|
祭神 | 菅原道真公 |
相殿 | - |
境内社 | 神明社 |
住所 | あきる野市山田山田下分820 |
祭日 | 例祭3月25日前後の土日曜日 |
備考 | - |
山田天神社の由緒
山田天神社の創建年代等は不詳ながら、貞治・応安年間(1362-1374)に(足利基氏の母で瑞雲寺を創建した)瑞雲尼が創建したと伝えられ、江戸期には山田村下分の鎮守として祀られていました。明治3年社号を天満宮・天満天神社から天神社へ改め、村社に列格していました。
東京都神社名鑑による山田天神社の由緒
創立起源不詳。一説に、貞治・応安(一三六二-七五)のころ、足利基氏の母瑞雲尼の創立という。もと天満宮と称し、村内能満寺持の常照寺が別当。明治元年、天神社と改称、以後神官が奉仕す(東京都神社名鑑より)
「五日市町史」による山田天神社の由緒
天神社
旧山田村下分鎮守、山田下分八二〇番地に鎮座する。祭神は菅原道真である。創立は不詳であるが、社伝に貞治・応安(一三六二~七四)のころ、足利基氏の母瑞雲尼の創立。社号は古くは天満宮と称し、村内能満寺持ちの常照寺が別当であったが、明治元年の神仏混滑廃止令により、天神社と改替したとある。例祭は三月二十五日。境内末社に神明社がある。境内地三五九坪。旧社格は村社である。(「五日市町史」より)
新編武蔵風土記稿による山田天神社の由緒
(山田村)
天満天神社
村の東寄にあり、瑞雲尼の建立なりと云、然れば貞治應安の頃の創建なるべし、小社にして拝殿あり、二間に三間、社地に山林あり、村内能満寺の隠居所、常照寺の持なり、
鐘樓。八尺四方鐘の大さ二尺五寸、寛保元年新に造りしものなり、(新編武蔵風土記稿より)
山田天神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「五日市町史」
- 東京都神社名鑑