白瀧神社|飯綱権現を祀っていた社
白瀧神社の概要
白瀧神社は、あきる野市上代継にある神社です。白瀧神社の創建年代等は不詳ながら、「白滝の社」と唱えて、日本武尊の御霊迹として、村民に崇敬されていたといいます。代継縫之助が自宅の鬼門除けとして不動明王を奉安、江戸期には不動堂と称されていたものの、明治維新後の神仏分離により白滝神社と改称、明治6年には村社に列格していました。
社号 | 白瀧神社 |
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祭神 | 天照皇大神、日本武尊 |
相殿 | - |
境内社 | 八雲神社 |
住所 | あきる野市上代継331 |
祭日 | 4月15日 |
備考 | - |
白瀧神社の由緒
白瀧神社の創建年代等は不詳ながら、「白滝の社」と唱えて、日本武尊の御霊迹として、村民に崇敬されていたといいます。代継縫之助が自宅の鬼門除けとして不動明王を奉安、江戸期には不動堂と称されていたものの、明治維新後の神仏分離により白滝神社と改称、明治6年には村社に列格していました。
東京都神社名鑑による白瀧神社の由緒
鎮座年代不詳。もと不動明王、また白滝社と称した。日本武尊の霊蹟として里人の深く崇敬する神社であった。代継縫之助が自宅の鬼門除けとして崇め、不動明王の霊を合祀してから、武尊の霊蹟が煙埋し、不動堂の公称をもって村の鎮守となった。神仏分離により、白滝神社と改称。明治四年上知、同九年に官地に定められ、同二十四年神社に譲渡。(東京都神社名鑑より)
「秋川市史」による白瀧神社の由緒
白滝神社 上代継三三一番地
鎮座の年代、創建者も明らかでない。旧称は「不動明王」とよばれていた。社伝によれば、昔は「白滝の社」と唱えて、日本武尊の御霊迹として、村民に崇敬されていた。
後になって、この地の代継縫之助が、自邸の鬼門除けに崇めていた不動明王を合祀してから、社は不動堂と改称されるようになり村の鎮守となったといわれている。
「新編武蔵風土記稿』には「不動堂」として
・・・
と、境内の情景を叙している。この情景は今もそう変わっていない。
明治維新の神仏分離によって、神仏混滑は禁止されるとととなり、旧社名に復することとなって、白滝神社と改称されたのである。明治六年(一八七三)には村社となった。社名の白滝は、境内に樹が繁茂し、一条の飛泉がかかって滝となっていることによる。この清き水は、霊泉として、村民に崇められてきたのであった。
御祭神は、天照皇大神、日本武尊である。
例祭日は四月十五日となっている。(「秋川市史」より)
新編武蔵風土記稿による白瀧神社の由緒
(上代繼村)不動堂
除地、二段六畝、堂地無年貢地、百二十坪、村の中程にあり、わづかなる堂にて、上屋二間四方、南向なり、不動は木の立像、長一尺二寸、最古色に見ゆ、されど作詳ならず、前に石階三十四級あり、境内にいりて左の方に瀧あり槻の大木一本あり、圍八九尺許、其外雑樹蒼鬱として繁茂し年へたるさまの境内なり、村内東海寺の持、
神明社。境内に入て左の方にあり
愛宕社。向て右の方にあり、小祠(新編武蔵風土記稿より)
白瀧神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「秋川市史」
- 東京都神社名鑑