西秋留石器時代住居跡。縄文時代後期の敷石住居跡
西秋留石器時代住居跡の概要
西秋留石器時代住居跡は、あきる野市牛沼にある名所旧跡です。西秋留石器時代住居跡は、縄文時代後期の集落跡です。昭和7年に発掘調査が行なわれ、敷石住居跡五軒や石棺墓二基、石組の炉一基などが発見され、敷石住居跡がまとまって発見されるのは稀だったことから国史跡に指定されたといいます。
名称 | 西秋留石器時代住居跡 |
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見どころ | 国指定史跡 |
入場時間 | - |
入場料 | 無料 |
住所 | あきる野市牛沼265 |
備考 | - |
西秋留石器時代住居跡の由来
西秋留石器時代住居跡は、縄文時代後期の集落跡です。昭和7年に発掘調査が行なわれ、敷石住居跡五軒や石棺墓二基、石組の炉一基などが発見され、敷石住居跡がまとまって発見されるのは稀だったことから国史跡に指定されたといいます。
あきる野市教育委員会掲示による西秋留石器時代住居跡について
国史跡
西秋留石器時代住居跡
昭和七年、後藤守一氏を中心として東京府(現東京都)によって調査が行われ、縄文時代後期の敷石住居跡五軒や石棺墓二基、石組の炉一基などが発見された。
当時、敷石住居跡が単独で出土した例はあったが、このように狭い範囲にまとまったものはほとんど無く昭和八年、国の史跡に指定された。
また、これらの遺構の他、縄文時代中期及び後期の土器や、石皿、凹石、石棒、打製石斧、石鐘などの石器も多数出土している。
調査当時、発見された住居の床面と周囲とが同じ面であると認められたため、竪穴式の住居ではなかったと判断され、それ以降の敷石住居は平地住居であるとする説の有力な根拠とされるなど、学史的にも非常に貴重な遺跡である。(東京都あきる野市教育委員会掲示より)
西秋留石器時代住居跡の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿