観音寺|あきる野市渕上にある臨済宗建長寺派寺院

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渕上山観音寺|本尊聖観音、ぬすまれ薬師

観音寺の概要

臨済宗建長寺派寺院の観音寺は、渕上山と号します。観音寺は、廣徳寺第二世江印徳禅師が応永年間(1394-1428)に隠居寺として創建したといいます。境内薬師堂は、元村の北秋留ノ原にあったもので「ぬすまれ薬師」として眼病に霊験あらたかだといいます。

観音寺
観音寺の概要
山号 渕上山
院号 -
寺号 観音寺
住所 あきる野市渕上354
宗派 臨済宗建長寺派
葬儀・墓地 -
備考 -



観音寺の縁起

観音寺は、廣徳寺第二世江印徳禅師が応永年間(1394-1428)に隠居寺として創建したといいます。境内薬師堂は、元村の北秋留ノ原にあったもので「ぬすまれ薬師」として眼病に霊験あらたかだといいます。

新編武蔵風土記稿による観音寺の縁起

(淵上村)
觀音寺
境内二段許、無年貢地、村の東の方にあり、禅宗臨済派、同郡小和田村廣徳寺の末、渕上山と號す、開山江印徳西堂と號す、嘉吉二年五月二十四日示寂す、本尊觀音木の坐像、長六寸許、客殿七間に五間、南向、
薬師堂。客殿の側にあり、二間四方の堂なり、本尊荒神の像にて首に薬師の小像をいただけり、長八寸許りなり、此堂昔は村の北秋留ノ原にありしが、いつの頃よりかここにうつせりといふ、(新編武蔵風土記稿より)

「秋川市史」による観音寺の縁起

観音寺
山号は渕上山という。本尊は聖観音菩薩をまつっている。
開基は足利基氏と伝えているが、『新編武蔵風土記稿』には開基については記載していない。開山は五日市町小和田の広徳寺二世の江印徳西堂和尚である。嘉吉元年(一四四一)五月江印和尚が隠居創立したのであった。開基と開山の時代は七十四、五年のへだたりがあるので、開基については後世になって、設定されたのではないであろうか。
観音寺も、その後火災に躍り、古記録なども焼失したので、詳細なことはほとんど不明である。明治維新の際、廃仏毀釈が行われようとした時、廃寺の危機に遭遇したが、金松寺二十世実酸和尚を迎えて、その危機を切り抜けた。その後大正末期から昭和十一年(一九三六)まで無住の時があった。
境内に薬師堂があるが、「ぬすまれ薬師」といわれ親しまれている。『新編武蔵風土記稿』に
・・・
とある。
この薬師は「秋川市の伝説」(「秋川市の文化財』八)によれば、目玉を誰かに盗まれたので、ぬすまれ薬師とよばれるようになったという。目玉がなくても、眼病には霊験あらたかであるといわれている。(「秋川市史」より)

境内石碑による観音寺の縁起

観音禅寺の由来
當山は渕上山と号し臨済宗建長寺派に属す応永年間廣徳寺第二世江印徳禅師開山となり聖観音菩薩の木の坐像を安置本尊とす第十四世擔月和尚貞享甲子元年初斧仝乙丑二年十月八日上棟修行道場として客殿間口七間奥行五間の本堂を再建す、以来三百年風雪に耐えて今日に至る其の間明治三十三年庫裏増築屋根替せるも近年老朽化著しく四囲の状況から建替の議起り昭和五十四年四月二十一日檀徒総会に諮り本堂改築を決議寺の農地等の処分による基本財及び檀徒の寄附金により総事業費壱億五阡萬円を投じ本堂等建物二三五平方米及周囲の塀等を整備し昭和五十五年五月二十三日上棟昭和五十六年三月竣工す(境内石碑より)


観音寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「秋川市史」