金龍山玉泉寺|旧五日市町域で一番新しい寺院
玉泉寺の概要
臨済宗建長寺派寺院の玉泉寺は、金龍山と号します。玉泉寺は、広徳寺十世徳叟馨禅師(慶長19年1614年寂)が慶長年間(1596-1614)に開山、旧五日市町域で一番新しい寺院だといいます。
山号 | 金龍山 |
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院号 | - |
寺号 | 玉泉寺 |
住所 | あきる野市五日市1188 |
宗派 | 臨済宗建長寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
玉泉寺の縁起
玉泉寺は、広徳寺十世徳叟馨禅師(慶長19年1614年寂)が慶長年間(1596-1614)に開山、旧五日市町域で一番新しい寺院だといいます。
新編武蔵風土記稿による玉泉寺の縁起
(五日市村)玉泉寺
除地、一段六畝二歩、小名小庄にあり、臨済宗、同郡小和田村廣徳寺末、金瀧山と號す、本堂七間に四間半南向なり、本尊十一面観音木の坐像、長一尺五寸許、この觀音に免除の水田四畝あり、開山徳叟和尚慶長十九年正月十八日示寂せり、
山王社。境内にあり、小祠、(新編武蔵風土記稿より)
「五日市町史」による玉泉寺の縁起
玉泉寺
(小庄一、一八八番地)臨済宗建長寺派に属し、山号を金竜山という。創立は慶長年間(一五九六~一六一四)と伝えられ、その年次は詳かでないが、町内の寺院の中では創立が最も新しい。開山は小和田の広徳寺十世徳叟馨禅師で、慶長十九年一月十八日に示寂す。開基・由緒等は詳かでないが、江戸時代に除地一反六畝二歩と観音免の水田四畝があった旨の記録がある。本尊は十一面観音菩薩で、本堂兼庫裡は三五坪、境内地は五九〇坪あり、毎年七月十二日に大施餓鬼会が行われる。(「五日市町史」より)
玉泉寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「五日市町史」