普光寺|あきる野市戸倉にある臨済宗建長寺派寺院

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福王山普光寺|あきる野市戸倉

普光寺の概要

臨済宗建長寺派寺院の普光寺は、福王山と号します。普光寺は、戸倉村字星竹の山下五郎右衛門、黒山太郎左衛門の両人が発起人となり、文明2年(1470)に堂宇を建立、光厳寺十七世大樹存松禅師(延徳3年1491寂)を開山に迎えたといいます。当寺の山号福王山は、山下五郎右衛門の六代前の先祖山下福王盛長から取っているといいます。明治維新後、一旦廃寺としたものの、明治16年に再興しています。

普光寺
普光寺の概要
山号 福王山
院号 -
寺号 普光寺
住所 あきる野市戸倉1056
宗派 臨済宗建長寺派
葬儀・墓地 -
備考 -



普光寺の縁起

普光寺は、戸倉村字星竹の山下五郎右衛門、黒山太郎左衛門の両人が発起人となり、文明2年(1470)に堂宇を建立、光厳寺十七世大樹存松禅師(延徳3年1491寂)を開山に迎えたといいます。当寺の山号福王山は、山下五郎右衛門の六代前の先祖山下福王盛長から取っているといいます。明治維新後、一旦廃寺としたものの、明治16年に再興しています。

新編武蔵風土記稿による普光寺の縁起

(戸倉村)普光寺
境内除地、一段四畝二十二歩、字星竹にあり、臨済宗にて村内光嚴寺の末なり、福王山と號す、開山は光嚴寺の第七世大樹存松和尚なり、是人延徳三年十一月廿三日寂す、客殿六間半に四間半、正観音を本尊とす、木の坐像にして、長五寸、(新編武蔵風土記稿より)

「戸倉町史」による普光寺の縁起

普光寺
(戸倉星竹一、〇五六番地)臨済宗建長寺派に属し、山号を福王山と称す。文明二年(室町中期・一四七〇)に、星竹部落の山下五郎右衛門、黒山太郎左衛門の両人が発起人となり、村内外の篤志者と図り、堂宇を建立し、光厳寺十七世大樹存松禅師を拝請して開山とした。山下隆次家に現存する古い系図によると、創立発起人山下五郎右衛門の父、義親宗内は室町六代将軍義教に仕えていたが事故あって没落し、子孫は永く当地に住み、宗内の五代前の先祖を山下福王盛長と称したところから、普光寺の建立に当たり、その名「福王」をとって山号としたと伝える。境内地の他に除地として畑一反三畝二六歩、年貢地一畝二〇歩があったが、明治三年に除地を上知し、薄禄のため同年八月廃寺として光厳寺へ合寺した。その後、明治十六年に部落二一戸が協力して再興、九〇余年を経た昭和四十九年には本堂兼庫裡四七坪を大改修した。他に鐘楼があり、本尊は十一面観音で、毎年七月十四日に大施餓鬼会が行われる。(「戸倉町史」より)


いいお墓

普光寺の周辺図

参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「戸倉町史」