金子厳島神社|辨財天稲荷合社と称し、金子村の鎮守
金子厳島神社の概要
金子厳島神社は、調布市西つつじヶ丘にある厳島神社です。金子厳島神社の創建年代は不詳ですが、江戸時代には辨財天稲荷合社と称して金子村の鎮守社であったといいます。明治6年村社に列格していました。
社号 | 厳島神社 |
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祭神 | 市杵志麻比咩命 |
相殿 | - |
末社 | 金子稲荷神社 |
住所 | 調布市西つつじヶ丘1-15-8 |
備考 | 旧村社 |
金子厳島神社の由緒
金子厳島神社の創建年代は不詳ですが、江戸時代には辨財天稲荷合社と称して金子村の鎮守社であったといいます。明治6年村社に列格していました。
新編武蔵風土記稿による金子厳島神社の由緒
(金子村)辨財天稲荷合社
社地一畝、本山にあり、本社九尺に一丈二尺の覆屋、拝殿にあり、間数同じ、村内の鎮守、例祭九月朔日、この邊を経水山と稱す、そのいはれを尋るに、石鳥居の東方に廣一畝十歩の池あり、古へ辨慶等この水にて大般若経を書冩せしと云、今菅村壽福寺の什物なり(新編武蔵風土記稿より)
境内掲示による金子厳島神社の由緒
旧くは「弁財天稲荷合社」といわれた。お社の創建年代は不詳だが(推古の頃との説もある)社前に清澄な水をたたえる池があり、昔、居住者が農耕や生活に不可欠の水に感謝の念を込めて池のほとりに建て、弁財天を祀ったのが創始ではないかと思われる。いつの頃「厳島神社」と変わったのかについての資料は見当たらないが、他社の例をみると明治初年の神仏分離に関わりがあるのではないかと思われる。(境内掲示より)
北多摩神社誌による金子厳島神社の由緒
創建年月は不詳だが社前に清澄な水をたたえる池があり、当地に土着定住した古代人が農耕及飲料に供した湖畔に祠を建て、弁天を祀ったのが縁起と伝わる。明治六年村社に列せられた。(北多摩神社誌より)
金子厳島神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 北多摩神社誌(北多摩神道青年会むらさき会)