国領神社|第六天社と神明社が合併
国領神社の概要
国領神社は、調布市国領町にある神社です。国領神社は、鎌倉時代(1192-1333)多摩川河畔畔に鎮座したものを、国領町148番地付近に遷座したといいます。国領常性寺の項に「第六天社。小社、当宿(国領宿)の鎮守なり。除地の内北方にあり、本堂を距ること凡2町」とある第六天社が当社に比定します。明治4年に村社に列格、昭和37年当地にあった神明社の地に第六天社(八雲社)を遷座合祀、国領神社と改称したといいます。
社号 | 国領神社 |
---|---|
祭神 | 神産巣日神 |
相殿 | 天照大御神、 建速須佐之男命 |
境内社 | 稲荷神社 |
住所 | 調布市国領町1-7-1 |
祭日 | - |
備考 | 旧国領宿鎮守 |
国領神社の由緒
国領神社は、鎌倉時代(1192-1333)多摩川河畔畔に鎮座したものを、国領町148番地付近に遷座したといいます。国領常性寺の項に「第六天社。小社、当宿(国領宿)の鎮守なり。除地の内北方にあり、本堂を距ること凡2町(常性寺本堂から200mほど北)」とある第六天社が当社です。明治4年に村社に列格、昭和37年当地にあった神明社の地に第六天社(八雲社)を遷座合祀、国領神社と改称したといいます。
新編武蔵風土記稿による国領神社の由緒
(国領宿)
神明社
社地除、1畝18歩、小社、上の北裏にあり。
(常性寺項)第六天社。小社、当宿の鎮守なり。除地の内北方にあり、本堂を距ること凡2町。 (新編武蔵風土記稿より)
東京都神社名鑑による国領神社の由緒
この神社は、国領神社といい、鎌倉時代(1192-1333)の頃、多摩川の畔、杉森の地に鎮座していたが、たび重なる洪水のため、国領町148番地(現八雲台一丁目)に鎮守の社として遷座された。
昭和三十七年に、八雲神明社境内(現在地)に御社殿を造営合祀し、社名を国領神社と総称する。
氏子区域は、国領町、八雲台、染地地区に及ぶ。境内の藤の木(調布市八景の一)は昔より千年の藤と云われ、よく延び繁るので、不二(無事)に通じ災厄を防ぎ、延命、子産、商売繁昌の神木として名高い。(東京都神社名鑑より)
北多摩神道青年会境内掲示による国領神社の由緒
創建年月は不詳であるが、元国領町百四十八番地に鎮座し、『新編武蔵風土記稿』に「第六天社小社当宿の鎮守なり、除地の内北方にあり本堂(常照寺)を距ること凡そ二町」とある。御社殿は六尺に四尺の小社で、国領の鎮守社として崇敬されてきた。現在地に鎮座する神明社はもとは多摩川の畔羽毛田、杉森の地に荻窪、小川、小林等の一族が鎌倉より移住し、この社に国土安定、五穀豊穣を祈願し、一族を挙げて敬神の念深く、たびたびの多摩川の洪水のためこの社とともに樹木のうっそうとして、特に藤の大木の茂い繁る現在地に奉祀したといい伝えられている。(北多摩神道青年会境内掲示より)
国領神社所蔵の文化財
- 千年藤
国領神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 東京都神社名鑑