道生神社|稲荷社のあった当地に調布飛行場地にあった山王社が移転
道生神社の概要
道生神社は、調布市飛田給にある神社です。道生神社の創建年代等は不詳ながら、当地には稲荷社(明治維新後に飛田神社を改称)が鎮座していたといいます。調布飛行場の地に鎮座していた山王社が明治2年道生神社と改称、調布飛行場整備に伴い、昭和18年飛田神社を合祀の上、当地へ遷座したといいます。
社号 | 道生神社 |
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祭神 | 宇気母智命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 調布市飛田給2-39-20 |
祭日 | - |
備考 | - |
道生神社の由緒
道生神社の創建年代等は不詳ながら、当地には稲荷社(明治維新後に飛田神社を改称)が鎮座していたといいます。調布飛行場の地に鎮座していた山王社が明治2年道生神社と改称、調布飛行場整備に伴い、昭和18年飛田神社を合祀の上、当地へ遷座したといいます。
新編武蔵風土記稿による道生神社の由緒
(上飛田給村)
稲荷社
見捨地十二歩、村の北より林野の中に有、纔の祠にて南向村の鎮守なり、押立村大楽院の持なり。
(下飛田給村)
稲荷社
除地、一段九畝、同じ邊にて西寄にあり、小祠にて東に向ふ、神體白幣なり、同寺の持
稲荷社
除地、八歩、上飛田給村境にあり、小祠にて南に向ふ、神體白幣、下石原宿の百姓の持なり
稲荷社
除地、二十九歩、村の南品川道の邊にあり、これも僅なる祠にて神體白幣、百姓持 (新編武蔵風土記稿より)
東京都神社名鑑による道生神社の由緒
往昔より飛田給の鎮守社にして村民の崇敬篤く、明治二年道生神社と改称した。さらに明治十七年村民相はかり、飛田神社(現在地)を合祀し、現道生神社となった。もとの道生神社は昭和十八年調布飛行場用地に指定された。(東京都神社名鑑より)
「調布市百年史」による道生神社の由緒
道生神社(飛田給)
品川道に沿っで鎮座している。
<祭神>宇気母智命
<由緒>明らかではないが、明治初年、稲荷道にあった稲荷神社(後飛田神社)、道生通り(飛行場になった所)にあった道生神社(山王様と称した)とを合併して、もとの飛田神社に合わせて祭り、新しく道生神社としたものである。
両社に掲げられていた社名額は、現社殿内に保管され、祭礼のさいは両社の掛軸が掲げられる。また古くは上石原八幡神社の分社で、二社のみでなく、祇園神社と八幡神社を加え四社が合わせ祭られたともいわれている。
現在の社殿は、大正四年の建立、勾配をもった切妻型式で、向拝を有する。本社間口二尺奥行二尺、境内は二二八坪あり、古木におおわれている。
もとは、九月二一日を大祭としたが、現在では九月の第三日曜に行なわれている。(「調布市百年史」より)
道生神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 東京都神社名鑑
- 「調布市百年史」