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円福寺|調布市国領町にある浄土真宗本願寺派寺院

円福寺の概要

浄土真宗本願寺派寺院の円福寺は、本誓山と号します。円福寺の創建年代は不詳ですが、北条泰時の舎弟開壽丸が開山となり鎌倉の切通に創建、武田信玄(法性院機山居士)が中興したと伝えられます。鎌倉より多摩川沿いに移転の後、中興二代胎玄(寛永元年1624年)の時に当地へ移転したといいます。

円福寺
円福寺の概要
山号 本誓山
院号 -
寺号 円福寺
本尊 阿弥陀如来像
住所 調布市国領町1-10-11
宗派 浄土真宗本願寺派
葬儀・墓地 -
備考 -



円福寺の縁起

円福寺の創建年代は不詳ですが、北条泰時の舎弟開壽丸が開山となり鎌倉の切通に創建、武田信玄(法性院機山居士)が中興したと伝えられます。鎌倉より多摩川沿いに移転の後、中興二代胎玄(寛永元年1624年)の時に当地へ移転したといいます。

新編武蔵風土記稿による円福寺の縁起

(国領宿)円福寺
境内除、2段7畝28歩、上宿にあり。本誓山無量寿院と称す。一向宗、西本願寺末。本堂4間に5間半、本尊弥陀立身の木像、宗祖親鸞作。此外に親鸞爪を以て三尊弥陀を刻める碑あり。長3尺4寸、幅1尺。又運慶作の弥陀あり。木の坐像長2尺2寸許。共に蔵めて寺宝となす。開祖を開山と云。永仁3年6月16日寂せり。俗称は開壽丸とて、北条泰時の舎弟なり。中興二代胎玄寛永元年4月4日寂。又法性院機山居士を以て中興開基となす。即ち武田信玄なり。然れ共その来由を傳へず。この寺古へは鎌倉の切通しにありしを後この地に遷し、多摩川の涯にありしが、中興二代へ移せりといへり。(新編武蔵風土記稿より)

「調布市百年史」による円福寺の縁起

円福寺(国領)
旧甲州街道に面している。
本誓山無量寿院円福寺と号し、真宗本願寺派。
<開山>開山和尚(北条泰時の弟開寿丸)(応仁三年-一二九五-六月一六日寂)
<中興開山>胎玄上人(寛永元年-一六二四-四月四日寂)
<中興開基>法性院機山居士(武田信玄)
<本尊>阿弥陀如来(宗祖親鸞上人自作という)『武蔵名所図会』には「本尊阿弥陀如来木坐像一尺二寸、運慶作」とあり、『新編武蔵風土記稿』には「本尊弥陀立身の木像、宗祖親鸞作、此外に親鸞爪を以て三尊弥陀を刻める碑あり、長三尺四寸、幅一尺、又運慶作の弥陀あり、木の坐像長二尺二寸許」とある。
この寺は、もと鎌倉切通しにあったが、鎌倉没落とともに荻窪玄馬頭以下、原島、熊沢、海老水等七士を率いて鎌倉をのがれ、多摩川のほとりに移ったが、慶長年間(一五九六~一六一五)中興二代の時現在の地に転じたという。明治二三年三月火災のため焼失したが、そのとき建てられた仮本堂が現在のものである。
寺宝に聖徳太子像がある。それは鎌倉七太子の一つと称せられ、太子ご自作と伝えられるが、また一六太子であるともいう。
前記親驚上人爪彫の碑は、火災のさい焼失したという。
なお、明治初年、氏姓改正前は北条を名乗っていたが一三代教順のとき現姓に改めたといわれる。(「調布市百年史」より)


円福寺の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿