熊野山玉泉寺|多摩七薬師霊場、多摩川三十三ヶ所観音霊場
玉泉寺の概要
天台宗寺院の玉泉寺は、熊野山観音院と号します。玉泉寺は、村民河合氏が開基となり、僧然度(正保2年1645年寂)が開山したといいます。多摩川三十三ヶ所観音霊場19番、多摩七薬師霊場です。
山号 | 熊野山 |
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院号 | 観音院 |
寺号 | 玉泉寺 |
住所 | 狛江市東和泉3-10-23 |
本尊 | 薬師如来像 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 玉泉寺幼稚園 |
玉泉寺の縁起
玉泉寺は、永正元年(1504)に創建、尊祐(天文20年1551年寂)が開山したといいます。。
新編武蔵風土記稿による玉泉寺の縁起
(和泉村)玉泉寺
東方猪ノ方村境にあり、熊野山観音院と號す、天台宗、東叡山の末、起立は永正元年にて、開山尊祐天文二十年十月三日の遷化なり、客殿七間半に六間二尺東向、二間に九尺の向拝をつけたり、本尊薬師木の坐像二尺許を安せり。又位牌堂あり、ここには惠心の作、木の立像一尺五寸の阿彌陀を置り、この寺の除地四町四方は往古北條氏政より賜ひしよし、多磨川のへりなれば、いつの頃か洪水のをりから流亡して、寺地をこの所へ引たり、今は地頭石谷所之丞より田畠二石を附せるのみにてこの外は年貢地なり、されど流亡の地も次第に復したれば、今は其地を寺境内附と唱ふ。
観音堂。二間四方、本尊十一面は木の立像、行基の作二尺五寸、厨子入なり、脇立に龍樹菩薩毘沙門を立り、二軀共に行基の作なり。
石神祠。寺の入口南方にあり、九尺四方、豊磐間戸、櫛磐間戸の兩神を祭る、神體木の坐像三寸餘、境内鎮守なり。(新編武蔵風土記稿より)
玉泉寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿