下里本邑遺跡公園|久留米市野火止の名所旧跡

猫の足あとによる多摩地区寺社案内

下里本邑遺跡公園|東京都指定史跡の下里本邑遺跡

下里本邑遺跡公園の概要

下里本邑遺跡公園は、久留米市野火止にある名所旧跡です。下里本邑遺跡公園は、当地から古代住居跡などが発見されたことから、保存を目的として整備された遺跡公園です。当地からは、先土器時代・縄文時代・弥生時代・奈良・平安時代までの長い期間にわたる生活の跡や道具などが発見され、下里本邑遺跡として東京都旧跡に指定されています。

下里本邑遺跡公園
下里本邑遺跡公園の概要
名称 下里本邑遺跡公園
みどころ 旧跡
住所 久留米市野火止3-4
管理者 -
備考 -



下里本邑遺跡公園の由緒

下里本邑遺跡公園は、当地から古代住居跡などが発見されたことから、保存を目的として整備された遺跡公園です。当地からは、先土器時代・縄文時代・弥生時代・奈良・平安時代までの長い期間にわたる生活の跡や道具などが発見され、下里本邑遺跡として東京都旧跡に指定されています。

境内掲示による下里本邑遺跡公園の由緒

南にむかってゆるい傾斜をみせる舌状の台地と清らかな流れをもった黒目川、そしてその間に広がる低地、ここの場所は原始・古代の人々にとって大変住みやすい土地だったのです。
古い地名をとって下里本邑遺跡と名付けられたこの場所は先土器時代から現在に至るまでの約二万五千年にわたる人々の生活の舞台であったのです。
この場所に最初に人間が住み始めたのは今から約二万五千年前の先土器時代と呼ばれる頃で、その生活の跡は関東ローム層という赤土の中から発見されました。当時は今より気候が寒く、ナウマンゾウやオオツノジカの群をおって生活する狩人の時代でした。
今から約一万年前になると気候も暖かくなりこの場所にも台地と川岸を利用した集落(ムラ)がつくられるようになりました。縄文式土器とよばれる土器を作るようになったこの時代を縄文時代といいます。
そして今から一六〇〇年程前になると、この地にも稲作農業が入ってきます。この時代を弥生時代とよび、近くに水田をもったムラつくられるようになり、台地の上からは当時の指導者の墓と考えられる方形周溝墓も発見されました。
その後一時、この場所から人間の生活の痕跡はとだえますが、今から一二〇〇年程前の奈良時代の終りごろになると再びムラがつくられるようになり、それは平安時代まで続きました。
このように下里本邑遺跡からは先土器時代、縄文時代、弥生時代、奈良・平安時代までの長い期間にわたる生活の跡や当時の道具が発見されたのです。
そこで、このような大切な文化財を後世の人々に伝えようということになり、遺跡の主要部分約八、〇〇〇㎡がそのまま保存され遺跡公園として整備されたのです。さらに低地の公園内には当寺の人々の生活の跡を復原したり、道具を展示した下里本邑遺跡館も作られました。(東久留米市教育委員会・東京都住宅供給公社掲示より)


下里本邑遺跡公園の周辺図