下野谷遺跡|縄文時代中期の双環状集落跡
下野谷遺跡の概要
下野谷遺跡は、西東京市東伏見にある名所旧跡です。下野谷遺跡は、旧石器時代の石器製作跡から、縄文時代の環状集落跡、さらに近代の中島飛行機製作所関連施設跡まで複数の時代の人々の痕跡が残る遺跡です。特に縄文時代中期(約5000~4000年前)の環状集落跡は、墓域のある広場を中心として竪穴式住居や倉庫(掘立柱建物)が環状に建っている環状集落が東西に二ヵ所ある「双環状集落」で、存続期間が1000年にもわたり、東側に隣接する練馬区富士見池遺跡群にも続いていた可能性も連想され、平成27年3月10日に国の史跡に指定されています。
名称 | 下野谷遺跡 |
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みどころ | 国指定史跡 |
入場時間 | - |
入場料 | 無料 |
住所 | 西東京市東伏見6-4下野谷遺跡公園 |
備考 | - |
下野谷遺跡の由緒
下野谷遺跡は、旧石器時代の石器製作跡から、縄文時代の環状集落跡、さらに近代の中島飛行機製作所関連施設跡まで複数の時代の人々の痕跡が残る遺跡です。特に縄文時代中期(約5000~4000年前)の環状集落跡は、墓域のある広場を中心として竪穴式住居や倉庫(掘立柱建物)が環状に建っている環状集落が東西に二ヵ所ある「双環状集落」で、存続期間が1000年にもわたり、東側に隣接する練馬区富士見池遺跡群にも続いていた可能性も連想され、平成27年3月10日に国の史跡に指定されています。
境内掲示による下野谷遺跡の由緒
縄文時代の大集落
国史跡下野谷遺跡
下野谷遺跡は、今から5~4千年前の縄文時代中期の南関東最大級の集落の跡です。
集落は、墓域のある広場を竪穴式住居や倉庫と考えられる掘立柱建物跡が囲んで建つ、典型的な「環状集落」の構成をもっています。また。こういった環状集落が東西に複数隣接する「双環状集落」であり、存続期間が千年近くの長きにわたることや、住居の数の多さ、遺構の密集度の高さなどから、南面する石神井川流域の拠点となるような集落であったと考えられています。
市街地にありながら保存状態も極めて良好であり、未来に残すべき貴重な文化遺産として、平成27年3月10日に国の史跡に指定されました。(西東京市教育委員会掲示より)
境内掲示による下野谷遺跡の由緒
下野谷遺跡(西東京市Nop.7遺跡)
所在 西東京市東伏見二・三・六丁目
下野谷遺跡は、石神井川の南側の台地上から低地に広がる、旧石器時代の石器製作跡から、近代の中島飛行機製作所関連施設跡まで複数の時代の人々の痕跡が残る遺跡で、今も公園の地下には遺跡が保存されています。
推定面積は約134,000㎡におよび、東側に隣接する練馬区富士見池遺跡群も同じ遺跡の可能性があります。
とくに縄文時代中期(約5000~4000年前)には、住居が広場を囲んで輪の形に並ぶムラ(環状集落)が複数あったと考えられており、その規模や内容は、関東地方でも屈指のものです。地面を堀りくぼめて作った竪穴住居のならぶ内側には倉庫のような掘立柱建物があり、さらにその内側にはお墓も作られていました。ムラの周囲にはクリなどの木々がしげり、その実を集めたり動物や魚をとったりしながら、自然とともに生きる豊かな暮らしが営まれていました。(西東京市社会教育課掲示より)
下野谷遺跡の周辺図