大醫山円福寺|清瀬市指定文化財の十二神将
円福寺の概要
曹洞宗寺院の円福寺は、大醫山と号します。円福寺は、陽岳春和大和尚(寛永11年1634年寂)が開山となり創建、薬師堂の十二神将は清瀬市文化財に指定されているといいます。
山号 | 大醫山 |
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院号 | - |
寺号 | 円福寺 |
住所 | 清瀬市野塩3-51 |
本尊 | 釈迦牟尼佛像 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | 円福寺双樹堂 |
備考 | - |
円福寺の縁起
円福寺は、陽岳春和大和尚(寛永11年1634年寂)が開山となり創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による円福寺の縁起
(野監村)円福寺
除地、七段、是も村の中央にあり、大醫山と號す、禅宗曹洞派にて、同郡門前村浄牧院の末、本堂九間半に六間南向、本尊釈迦の坐像長一尺許なるを安ず、運慶の作と云、開山を陽岳春和と云、寛永十一年十月二十八日示寂す、開基詳ならず。
薬師堂跡。本堂の後ろの山にて石階三十四級を設く、堂は先年祝融の災にかかりて未だ再建に及ばず、その地所のみあり、薬師の像は本堂にうつし置り、坐像にて長二尺ばかり、定朝の作と云。(新編武蔵風土記稿より)
円福寺所蔵の文化財
- 円福寺薬師堂 十二神将
円福寺薬師堂 十二神将
十二神将は薬師十二本願の化身といわれ、薬師如来の守り神として十二体がすべて武将の姿をしています。
さらに十二神将は十二支と結びつけられて信仰されました。円福寺薬師堂の十二神将も頭にそれぞれ十二支の動物をつけており、動きのある力強い姿をあらわしています。
円福寺に伝わる「薬師如来由来記」によればこの十二神将の作者は、仏師定朝(平安時代後期の人)とされていますが、一部をのぞいて室町時代の技法を伝えています。
なおこの薬師堂は、徳川時代初期の頃(約四〇〇年前)野塩村を所領した匂坂氏が、領民の安穏を祈願して創建したものといわれています。建物はその後建て替えています。
このお薬師さまは近頃まで近郷近在の人々の信仰を集め、門前市をなすほどのにぎわいでした。(清瀬市教育委員会掲示より)
円福寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿