奈良橋八幡神社|領主石川太郎衛門が再興
奈良橋八幡神社の概要
奈良橋八幡神社は、東大和市奈良橋にある八幡神社です。奈良橋八幡神社の創建年代は不詳ですが、天正3年(1575)領主石川太郎衛門の寄付により社殿が再興されたといいます。
社号 | 八幡神社 |
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祭神 | 誉田別之命 |
合祀 | - |
境内社 | 大山祇命、天照坐皇大御神・月讀尊、素盞嗚尊、大山祇命、市杵島姫命、建御名方命 |
住所 | 東大和市奈良橋1-256 |
祭日 | - |
備考 | - |
奈良橋八幡神社の由緒
奈良橋八幡神社の創建年代は不詳ですが、天正3年(1575)領主石川太郎衛門の寄付により社殿が再興されたといいます。
新編武蔵風土記稿による奈良橋八幡神社の由緒
(奈良橋村)八幡宮
除地六段、村の西北方にあり、上屋二間に三間、内二五尺の社を置り、拝殿は二間半に三間、前に鳥居をたつ。(新編武蔵風土記稿より)
ふるさとふれあい振興事業掲示による奈良橋八幡神社の由緒
神社明細帳には、創立年暦不詳、太古より鎮守と公称し、天正3(1575)年に再興、とあります。
狭山緑地東側の入口の、森林の中にあり、昔ながらの面影を残しています。神社入口の階段わきにあった樹齢270年の杉の大木の根が、本殿の横に置かれています。
近くに市史跡の八幡谷戸遺跡があり、その出土品は市重宝に指定されています。(ふるさとふれあい振興事業掲示より)
北多摩神道青年会掲示による奈良橋八幡神社の由緒
当社は創立年暦不詳、太古より鎮守と公称しきて、何神と言うことはわからない。
宮がこわれようとする頃、いつの戦か、武士がにげて来て、此の森に露営しようと、四方を見ると、くらい中より宮のあるのがわかり、宮の中にねむると、その人に告げるに神の夢に「吾は八幡の神なり」当社によく宿ってくれた、宮が破損しようとしているので村人に建替ることを知らせて欲しいと言った。夢さめて翌朝地領に行き、其の理由を告げる。天正三年(一五七五)十一月、領主石川太郎右衛門氏の寄付により、社殿が再興され、其の後百十四年を経て、元禄二年(一六八九)九月旧領主石川太郎右衛門並岸隼人の尽力に依り拝殿が建てられ、其の後昭和七年に本殿幣殿拝殿が改築された。(北多摩神道青年会掲示より)
北多摩神社誌による奈良橋八幡神社の由緒
八幡神社(奈良橋二五六)
縁起、創建年月は詳ではないが、いい伝えによると土地開墾に際し奉斎され天正三年十一月領主石川太郎衛門の寄付にて社殿再興され、その後元禄二年旧領主、石川太郎衛門並に辻仁左衛門、岸隼人、鎌田長右衛門等が尽力して拝殿を建立した。昭和七年九月、現在の社殿を改築した。(北多摩神社誌より)
奈良橋八幡神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 北多摩神社誌(北多摩神道青年会むらさき会)