高木神社|東大和市高木の神社

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高木神社|旧称尉殿権現社

高木神社の概要

高木神社は、東大和市高木にある高木神社です。高木神社の創建年代等は不詳ながら、江戸期には尉殿権現社と称していたといい、明治13年高木神社と改称したといいます。

高木神社
高木神社の概要
社号 高木神社
祭神 伊弉諾尊、伊弉冉尊
合祀 御霊大神
境内社 -
住所 東大和市高木2-104
祭日 -
備考 -



高木神社の由緒

高木神社の創建年代等は不詳ながら、江戸期には尉殿権現社と称していたといい、明治13年高木神社と改称したといいます。

新編武蔵風土記稿による高木神社の由緒

(高木村)尉殿権現社
除地、一畝、字砂にあり、上屋二間に三間、内にわづかなる宮を置り、前に鳥居をたつ(新編武蔵風土記稿より)

北多摩神社誌による高木神社の由緒

高木神社(高木一〇四)
縁起、創建年月は詳かでないが、宝暦八年九月二十日に再建した。古くは高木神社と称したがその後尉殿大神と称した。明治十三年一月高木神社と再び改称した。末社の塩竈神社は、安産の神として崇敬者が多い。(北多摩神社誌より)

高木神社所蔵の文化財

  • 高木村外五ヶ村連合戸長役場跡

高木村外五ヶ村連合戸長役場跡

明治十七年、町村制度の大改正が行なわれ、それまでの數ヶ村を一区域とする行政区画が定められ、官選の戸長がこれを管轄し旧高木、清水、狭山、奈良橋、蔵敷、芋窪の六ヶ村を管轄する事務をとった。
旧六ヶ村をまとめて一区域とすることにより、ほぼ現在の東大和市域が形づくられたと言ってよい。今は当時の建物も大部分は失われたが、東大和市の原形をつくりあげた最初の役所跡として、歴史的に重要な遺跡である。(東大和市教育委員会掲示より)

戸長役場跡と高木神社

明治17(1884)に高木村外五ヶ村連合村会(東大和市の前身)ができたとき、連合戸長役場が置かれました。
今は、書類入れだった土蔵だけが当時の面影をとどめています。
高木神社ではかつて、獅子舞が行われていました。使用していた獅子頭は、江戸後期のものとされています。境内には、安産を祈願する塩釜神社もあります。(ふるさとふれあい振興事業より)


高木神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 北多摩神社誌(北多摩神道青年会むらさき会)