蔵敷厳島神社|永禄年中宗春という人が奉斎
蔵敷厳島神社の概要
蔵敷厳島神社は、東大和市蔵敷にある厳島神社です。蔵敷厳島神社の創建年代は不詳ですが、永禄年中に宗春という人が、私有地に祠を建て奉斎したとも、寛永6年に鎮座したともいいます。
社号 | 厳島神社 |
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祭神 | 市杵島姫命 |
合祀 | - |
境内社 | - |
住所 | 東大和市蔵敷1-367 |
祭日 | - |
備考 | - |
蔵敷厳島神社の由緒
蔵敷厳島神社の創建年代は不詳ですが、永禄年中に宗春という人が、私有地に祠を建て奉斎したとも、寛永6年に鎮座したともいいます。
新編武蔵風土記稿による蔵敷厳島神社の由緒
(奈良橋村枝郷蔵鋪村)辨天社。
除地、字辨天山にあり、一尺五寸の小祠にて、二間四方の上屋を設く、寛永六年鎮座せしといへど、其詳なることを傳へず。(新編武蔵風土記稿より)
北多摩神社誌による蔵敷厳島神社の由緒
厳島神社(蔵敷三六七)
内野家の伝承によると、永禄年中宗春という人が、私有地に祠を建て奉斎し、天正度の検地に貢租を免ぜられたという。後代の秀勝が新規に祠を造り替えをしたのが宝暦八年四月二十五日であった。爾来内野家一統の守護神として尊んだ。更に天保六年十一月十八日、重泰一族と謀り、祠としてはあまりに勿体ないと今度は本建築の相談がまとまった。
つまり現存の本殿で間口二間半、奥行二間の神社建築としては小規模であるが、美事な彫刻まで施されている。天保九年四月一日遷座式を挙行。旧称弁財天。今もって土俗の信仰厚く、時には遠来の報賽人があると聞く。明治になって厳島神社の神号に改め、村の神社として移管され蔵敷村に二社存在することになった。(北多摩神社誌より)
蔵敷厳島神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 北多摩神社誌(北多摩神道青年会むらさき会)