禅昌寺|狭山三十三観音霊場
禅昌寺の概要
臨済宗建長寺派寺院の禅昌寺は、岸清山禅昌寺と号します。禅昌寺は、恵山和尚(寛正元年1461年寂)が開山となり正長元年(1428)創建したといいます。明治年間には村山第二小学校として学校に供用されていたといいます。狭山三十三観音霊場24番です。
山号 | 岸清山 |
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院号 | - |
寺号 | 禅昌寺 |
住所 | 武蔵村山市岸3-37-7 |
宗派 | 臨済宗建長寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
禅昌寺の縁起
禅昌寺は、恵山和尚(寛正元年1461年寂)が開山となり正長元年(1428)創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による禅昌寺の縁起
(岸村)善聖寺
除地、二段二畝廿六歩、小名山根にあり、岸清山と號す、臨済宗柴崎村普濟寺の末、開山惠三寛正元年八月廿五日寂せり、本堂四間半に八間半南向、本尊彌陀木の坐像、長二尺許、行基の作。(新編武蔵風土記稿より)
武蔵村山市教育委員会掲示による禅昌寺の縁起
岸清山禅昌寺は、臨済宗の禅寺で室町時代の正長元年(一四二八)恵山和尚によって開山されたと伝えられています。江戸時代に強風でお堂が壊れ、文化十四年(一八一七)に再建されました。現在の本堂は、昭和四十六年に建てられたものです。観音堂は文禄三年(一五九四)の創建と伝えられ、狭山二十四番の札所になっています。(武蔵村山市教育委員会掲示より)
禅昌寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿