蔵敷太子堂|汎衆学舎に供用
蔵敷太子堂の概要
堂宇の蔵敷太子堂は、東大和市蔵敷にある太子堂です。蔵敷太子堂の創建年代等は不詳ながら、旧多摩郡山口領にあった太子堂は当堂だけだといいます。明治5年(1872年)の学制発布に伴い、汎衆学舎と呼ばれる学校が当地に設置されたといいます。
山号 | - |
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院号 | - |
堂名 | 太子堂 |
住所 | 東大和市蔵敷1-436 |
宗派 | |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
蔵敷太子堂の縁起
蔵敷太子堂の創建年代等は不詳ながら、旧多摩郡山口領にあった太子堂は当堂だけだといいます。明治5年(1872年)の学制発布に伴い、汎衆学舎と呼ばれる学校が当地に設置されたといいます。
新編武蔵風土記稿による蔵敷太子堂の縁起
(奈良橋村枝郷蔵鋪村)太子堂
是も東の方にあり、堂は三間に五間、本尊は立像にて長一尺三寸なるよしをいへど、秘佛なりとて見ることを許さず。(新編武蔵風土記稿より)
蔵敷太子堂跡
蔵敷太子堂跡
この地は、江戸時代に太子堂が置かれた場所である。
「新編武蔵風土記稿」によれば、旧多摩郡山口領(現東大和市・武蔵村山市・東村山市一帯及び清瀬市・小平市・立川市・瑞穂町の一部)に存在した太子堂は、寺院に付属するものを除けば、蔵敷の一堂のみであった。
また明治五年(一八七二年)の学制発布に伴い、汎衆学舎と呼ばれる蔵敷村の学校が置かれた場所でもあり、その後も蔵敷村青年団活動の拠点となった。
現在の建造物は当時の面影はないが、厨子(空殿)が安置されており、太子堂が祀られている。(東大和市教育委員会掲示より)
蔵敷太子堂の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿