醫王山宗禅寺|元禄8年当地へ移転、奥多摩新四国霊場八十八ヶ所
宗禅寺の概要
臨済宗建長寺派寺院の宗禅寺は、醫王山と号します。宗禅寺は、玉岫和尚(正保4年1647年寂)が開山となり、元和元年(1615)堂坂下に創建、洪水や玉川上水工事のため、元禄8年(1695)薬師堂が建てられていた当地へ移転したといいます。薬師堂は寛正年間(1460-65)頃からあったものだといい、羽村市有形文化財に指定されています。奥多摩新四国霊場八十八ヶ所33番です。
山号 | 醫王山 |
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院号 | - |
寺号 | 宗禅寺 |
住所 | 羽村市川崎2-8-20 |
本尊 | 釈迦牟尼佛像 |
宗派 | 臨済宗建長寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
宗禅寺の縁起
宗禅寺は、玉岫和尚(正保4年1647年寂)が開山となり、元和元年(1615)堂坂下に創建、洪水や玉川上水工事のため、元禄8年(1695)薬師堂が建てられていた当地へ移転したといいます。
羽村市教育委員会掲示による宗禅寺の縁起
医王山宗禅寺
五日市町の広徳寺を本寺とする臨済宗建長寺派の寺です。川崎村には寛正年間(1460-65)から薬師堂がありましたが、元和元年(1615)村民により宗禅寺が建立されました。開山は玉岫和尚です。
寺はもと堂坂下にありましたが、洪水や玉川上水工事のため元禄8年(1695)この地に移転しました。現在の本堂はその時のものです。
境内には市指定有形文化財の薬師堂や、天神様などをまつる三社堂、悪病退散、庚申塚、経塚、芭蕉句碑などがあります。境内東墓地には、明治時代の川崎村の教育に貢献された岡部直清先生の墓もあります。(羽村市教育委員会掲示より)
新編武蔵風土記稿による宗禅寺の縁起
(川崎村)
宗禅寺
境内年貢地、一段廿四歩、村の中程にあり、薬王山と號す、禅宗臨済派、當郡小和田村廣徳寺末、本堂八間半に五間、本尊釋迦、木の坐像、長一尺許、開山玉岫、正保四年十月十五日寂といふ。
薬師堂
堂地、八間に六間、村の中程にあり、見捨地なり、木の坐像、長七寸許、村持。(新編武蔵風土記稿より)
宗禅寺所蔵の文化財
- 宗禅寺薬師堂(羽村市指定有形文化財)
宗禅寺薬師堂
宗禅寺の明細書に、天正十一年(一五八三)に多摩川流木の一本木をもって再建され「一本木堂」といわれたとあります。江戸時代後期の地誌『新編武蔵風土記稿』には「薬師堂 堂地八間に六間ばかり 村の中央にあり 村持」と記されています。
堂内仏壇の象鼻や虹梁の絵様などから近世の比較的早い時期の建立と推測され、建築技術や仏堂形態の変遷史上貴重な建造物です。
以前は奥多摩街道と堂坂の交差するあたりにあったのですが、昭和二十八年(一九五三)にこの地へ移されました。安置の薬師像は、その時川崎の人島田改助の作ったものです。(羽村市教育委員会掲示より)
宗禅寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿