是政鹿島神社|銅板の懸仏
是政鹿島神社の概要
是政鹿島神社は府中市是政にある鹿島神社です。是政鹿島神社の創建年代は古社であるということ以外は不詳です。かつては東寄りにあった当社を当地へ遷座した際に、銅板に仏を彫った懸仏を土中より掘出、弘安七年(1248年)の銘があり、この銅板の懸仏を神体としているといいます。
社号 | 是政鹿島神社 |
---|---|
祭神 | 武甕槌神 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 府中市是政3-35 |
祭日 | - |
備考 | - |
是政鹿島神社の由緒
是政鹿島神社の創建年代は古社であるということ以外は不詳です。かつては東寄りにあった当社を当地へ遷座した際に、銅板に仏を彫った懸仏を土中より掘出、弘安七年(1248年)の銘があり、この銅板の懸仏を神体としているといいます。
新編武蔵風土記稿による是政鹿島神社の由緒
(是政村)鹿島社
除地、二十歩余、西裏にあり、九尺四方の覆屋、村民忠左衛門持、神体円かなる銅板中に鐵佛を置て樹内に懸、なを外に弥勒文殊なりとて共に長三寸許の鐵佛あり、神体と同く昔は面形の如くくぼみたり、是もかならず銅板中にありしものなるべし、今この二体に木像の大黒を併せて、別に一樹となし、社殿に蔵む、当社は元来この所より東にありしを、いつの頃にかここに移せりとぞ、其還坐の時かの神体奮地の土中より得たりといふ、銘文の中に弘の字ありて、その下の字なかば滅し、二の字の如くのこれり、おもふに弘仁の残欠にや、又刑部の上になを一字あれど磨滅して瓣すべからず、或は疑ふ西の字なるべしと、刑部宗弘は恐くは西の党由井の祖ならんか、銅板円径一尺一寸六分、在中の鐵佛長三寸ばかり、図上のごとし。(新編武蔵風土記稿より)
境内石碑による是政鹿島神社の由緒
鹿島神社の創建がきわめて古いということ以外由緒は詳らかでない。
江戸時代の地誌として知られる「新編武蔵風土記稿」や「武蔵名所図会」にも、ただ古社であること以外には記されていない。
しかし御祭神は武甕槌神(武神)で当社の御神体は円形の銅板に三体の小仏像を掛けた験仏(府中市の文化財に指定)で、銅板に弘安七年(1248年)の字が読みとれ、鎌倉時代に作られたことは間違いない。
御神体が仏像とは珍しいとの事である。又古くはもっと東方にあって寛文元年に現在の所に移転再興、この時の棟札に願主西蔵院と書いてあるところから西蔵院が別当寺であったようである。
当社と西蔵院の関係も深いものであった。(境内石碑より)
是政鹿島神社所蔵の文化財
- 鹿島神社の懸仏(府中市指定文化財)
是政鹿島神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿