府中熊野神社|武蔵府中熊野神社古墳
府中熊野神社の概要
府中熊野神社は府中市西府町にある熊野神社です。府中熊野神社は、江戸時代初期の創建と伝えられ、(現)本宿町1-35地に鎮座、本宿村の鎮守だったといいます。安永6年(1777)上円下方墳のあった当地に遷座したといいます。熊野神社本殿・拝殿は府中市文化財に指定されている他、社殿背後にある武蔵府中熊野神社古墳は国史跡となっています。
社号 | 熊野神社 |
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祭神 | 素戔嗚尊 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 府中市西府町2-9-5 |
祭日 | - |
備考 | - |
府中熊野神社の由緒
府中熊野神社は、江戸時代初期の創建と伝えられ、(現)本宿町1-35地に鎮座、本宿村の鎮守だったといいます。安永6年(1777)上円下方墳のあった当地に遷座したといいます。
新編武蔵風土記稿による府中熊野神社の由緒
(本宿村)熊野権現社
除地、五段五畝二十八歩、村の西にあり、本社覆屋九尺二間、拝殿二間に三間、本地弥陀・観音・薬師三尊を安ず、木の坐像各長一尺、村内弥勒寺の持也。(新編武蔵風土記稿より)
東京都神社名鑑による府中熊野神社の由緒
往古熊野大権現と称し、本宿村の総鎮守であった。その創立は、江戸初期と伝えられ、別当寺である弥勒寺とともに本宿町一丁目三十五番の地にあったが、安永六年(一七七七)現在の地に遷座したものである。本殿は、当時のままであるが、拝殿は天保九年(一八三八)再建され、さらに安政六年(一八五九)に修復がほどこされ現在に至っている。また江戸時代における境内除地は一町一反四畝あり、熊野免として四石六斗一升、その反別は五反五畝歩ということであった。(東京都神社名鑑より)
府中熊野神社所蔵の文化財
- 熊野神社本殿・拝殿(府中市指定文化財)
- 武蔵府中熊野神社古墳(国史跡)
熊野神社本殿・拝殿
熊野神社本殿の建築年代は、虹梁絵様や彫刻等の構成が簡素であることなどから一八世紀前半と考えられます。本格的に施工された屋根の杮葺も造営当時の状態を良くとどめており、江戸時代中期の府中周辺地域における社殿の形態が良好な状態で保存されています。
また、拝殿の建築年代は、室内の長押上の壁に掛けられた木板、虹梁上の中備下の墨書及び虹梁絵様から一九世紀前半と推定されます。
本殿及び拝殿ともに、江戸時代中期から幕末における神社建築の造形をよく現している、市内でも数少ない貴重な建築物です。(府中市教育委員会掲示より)
武蔵府中熊野神社古墳
武蔵府中熊野神社古墳の概要
飛鳥時代の上円下方墳
本古墳は、7世紀の中頃の飛鳥時代に築造された、上が丸く、下が四角い上円下方墳です。古代の中国では、天はドームのような半球形で、大地は四角いものと信じられていました。この考えを「天円地方」といいますが、このような宇宙観や思想を背景として築造されたと考えられています。
埋葬された人物
武蔵府中熊野神社古墳が、全国でも類例の少ない上円下方という墳形の古墳であることや、副葬品の質の高さから、その被葬者(埋葬された人物)はおそらく東国の有力者であったと考えられます。残念ながらその人物名は、当時の文献や記録、古墳出土品に名前を記したものがないためわかりません。(境内掲示より)
府中熊野神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 東京都神社名鑑