人見四郎の墓跡|鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した武士
人見四郎の墓跡の概要
人見四郎の墓跡は、府中市若松町にある名所旧跡です。人見四郎の墓跡は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した武士人見四郎の墓跡(伝承)です。新編武蔵風土記稿では、現在の浅間山を、地元では「人見山」と呼称していたといいます。
名称 | 人見四郎の墓跡 |
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みどころ | 市指定史跡 |
入場時間 | - |
入場料 | - |
住所 | 府中市若松町4-50 |
備考 | - |
人見四郎の墓跡の由緒
人見四郎の墓跡は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した武士人見四郎の墓跡(伝承)です。新編武蔵風土記稿では、現在の浅間山を、地元では「人見山」と呼称していたといいます。
人見四郎の墓跡について
人見四郎の墓跡
ここは鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した武士人見四郎の墓跡と伝えられる。
平成二年三月 府中市教育委員会掲示(境内石碑より)
新編武蔵風土記稿による人見四郎の墓跡について
(人見村)
小名堂山
村北の丘岡なり、凡登り一町餘、土人是を人見山と云、平地に突出して塚の如し、故に或は人見塚とも云、村内觀音堂の舊地なる故、かく堂山と呼べりとぞ、(新編武蔵風土記稿より)
人見四郎の墓跡の周辺図