普賢寺|昭和2年に本所から当地へ移転
普賢寺の概要
天台宗寺院の普賢寺は、高龍山明王院と号します。普賢寺は、僧良圓が文明元年(1469)に創建、昭和2年に当地へ移転するまで本所にあったといいます。新葛西三十三所観音霊場26番です。
山号 | 高龍山 |
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院号 | 明王院 |
寺号 | 普賢寺 |
住所 | 府中市紅葉丘2-26-4 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
普賢寺の縁起
普賢寺は、僧良圓が文明元年(1469)に創建、昭和2年に当地へ移転するまで本所にあったといいます。
「本所區史」による普賢寺の縁起
普賢寺
普賢寺は同町(番場町)五十二番地に在り高龍山と號し明王院と稱した。天台宗にして浅草寺末である。文明元年僧良圓の開設に係り歌舞伎傳助所持の地蔵尊がある。震災前迄本堂玄關の傍に大碑があつた。海保漁邨の墓碑で其の文は左の如くである。(墓碑文省略)
この由緒ある寺も、昭和二年五月十八日付を以て府下北多摩郡大字染谷字尾原に移る事になった。(「本所區史」より)
普賢寺の周辺図
参考資料
- 「本所區史」