善明寺|五十嵐定右衛門が中興開基
善明寺の概要
天台宗寺院の善明寺は、悲願山と号します。善明寺の創建年代は不詳ながら、かつては大寺であったといいます。当地周辺の農民だった五十嵐定右衛門が神道の一宗派を起こし、天台准后に拝謁して後依田伊織と改名、当寺の中興開基となり、時の住僧證海が中興開山となって中興したといいます。
山号 | 悲願山 |
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院号 | - |
寺号 | 善明寺 |
本尊 | 阿弥陀如来坐像 |
住所 | 府中市本町1-5-4 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
善明寺の縁起
善明寺の創建年代は不詳ながら、かつては大寺であったといいます。当地周辺の農民だった五十嵐定右衛門が神道の一宗派を起こし、天台准后に拝謁して後依田伊織と改名、当寺の中興開基となり、時の住僧證海が中興開山となって中興したといいます。
新編武蔵風土記稿による善明寺の縁起
(本町)善明院
除地、一町二段、本町西側にあり、彼岸山圓養院と号す、古へは村内安養寺の末、今東叡山末の律院なり、本尊弥陀の大佛、木の坐像長凡一丈、内陣に眦尼苑の三字を扁す、延享年中天台准后公遷の御筆なり、衆寮二間半に五間半、門に入て左にあり、右の方に書庫あり、門は四趾柱作り摂僧大界の石標を立、門内に摂僧大界第一標といへる小石榜あり。又摂僧大界第二標といへる石榜もあり、是は木の下にたてし故木根蟠屈の間に籠れり、開山開基詳ならず、古へは大刹なりしや、中頃衰へて甚たの貧寺となれり。且号の内に五十嵐定右衛門といひしものあり、数多の田地を所持せし村民なり、神道を好て其学に通じ、傍ら佛理を以て其説を助け、別に一派の神学を興せり、其道を以て天台准后に拝謁して大に待遇を蒙むり、それより高貴の家にも出入し、生産に富り、神道を専門とせしより、故ありて姓氏をも改て依田伊織と云、江戸谷中邊に住居を卜せり。因て吾宅地を棄て寺地となし、もと番場宿にありしをこの所に遷せり。殊に大に構営を加へ、剰へ若干の田地までも寄附せり、これより当院福地となり、今に至て愈清浄の霊地たり、寺を移して再建を加へしは、延享元年のことなり、仍て其時の住僧證海を以て中興の開山となし、伊織を中興開基となす、明和元年没して後、この寺に帰葬す、今世に大成経を唱へし瓣神学と沙汰せるものこれがことなり、数部の物連井に所蔵の書籍を併せて、皆此寺へ納め書庫を作りてこれをおけりと。(新編武蔵風土記稿より)
善明寺所蔵の文化財
- 大鉄仏阿弥陀如来坐像(国重要文化財)
- 小鉄仏阿弥陀如来立像(国重要文化財)
善明寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿