宝林山永福寺|国立市谷保にある臨済宗建長寺派寺院
永福寺の概要
臨済宗建長寺派寺院の永福寺は、宝林山と号します。永福寺は、普済寺第六世天叟宗裕和尚禅師が開山隣、寛文年間(1661-1673)に創建したといいます。
山号 | 宝林山 |
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院号 | - |
寺号 | 永福寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 国立市谷保6877 |
宗派 | 臨済宗建長寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
永福寺の縁起
永福寺は、普済寺第六世天叟宗裕和尚禅師が開山隣、寛文年間(1661-1673)に創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による永福寺の縁起
(上谷保村)永福寺
境内除地四石四斗四升、臺にあり、寳林山と號す、是も普済寺の末、本尊彌陀木の坐像長一尺許、開山天叟天和七年十月十日寂す。(新編武蔵風土記稿より)
境内掲示による永福寺の縁起
宝林山永福寺
宝林山永福寺は臨済宗建長寺派で、立川普済寺の末寺です。開基は不明、開山は普済寺第六世天叟宗裕和尚禅師で、江戸時代の寛文年間(一六六一~一六七三)の創立です。
本尊は釈迦如来像で、脇仏として木彫の阿弥陀如来座像と不動明王像が安置されています。特に、阿弥陀如来座像(像高五十七センチメートル)は、鎌倉時代の作と言われ、「新編武蔵風土記稿」(徳川幕府が編さんしたもの)にも明記されている古仏です。
また、昭和初期までは、江戸時代の有名な講談作者、伊藤単朴の墓地と石碑がありましたが、現在は、青柳の堀江家の私有墓地に移葬されています。(国立市教育委員会掲示より)
永福寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿