北野天満社|横山党の一族が京都北野天満宮をこの地に勧請
北野天満社の概要
北野天満社は、八王子市北野町にある神社です。北野天満社の創建年代等は不詳ながら、横山党の一族が京都北野天満宮をこの地に勧請、当地地名の由来となったといいます。天正19年(1591)徳川家康より社領5石の御朱印状を拝領、北野村の鎮守社だったといいます。
社号 | 天満社 |
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祭神 | 菅原道真公 |
相殿 | - |
境内社 | 塩竈神社、古峯原神社 |
住所 | 八王子市北野町550-1 |
祭日 | 4月25日 |
備考 | - |
北野天満社の由緒
北野天満社の創建年代等は不詳ながら、横山党の一族が京都北野天満宮をこの地に勧請、当地地名の由来となったといいます。天正19年(1591)徳川家康より社領5石の御朱印状を拝領、北野村の鎮守社だったといいます。
新編武蔵風土記稿による北野天満社の由緒
(北野村)天満宮
村の東の入口にあり、社領五石の御朱印を賜へり、當社はこの地十八代官を置れし頃、其人々の内にて勧請せし由を傳へり、神體綱敷天神立像、長二尺一寸なるを安せり、本社六尺四方、拝殿二間に三間、寛文九年の勅額にして二品良尚親王の筆也と云、村の鎮守にして例祭二月廿五日、八王子村元横山村大義寺持。
鐘楼。元禄元年十一月の銘をいれり、又境内に康永四年十一月日の古碑一基あり、何人の碑かしらず。
菴。拝殿の北にあり、二間に三間半、社を守る人ここに居れり。(新編武蔵風土記稿より)
東京都神社名鑑による北野天満社の由緒
創建の年代は詳らかでないが、横山党の一族が京都北野天満宮をこの地に勧請し、北野の地名となった。寛文四年(一六六四)三月龍華山大義寺真上法印により社殿再建した。天正十九年(一五九一)十一月から万延元年(一八六〇)九月まで、将軍家から五石の社領を受ける。毎年一月徳川将軍へ武運長久の祈祷札を献上の習慣があった。明治十三年唐破風の社殿を造営する。(東京都神社名鑑より)
北野天満社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 東京都神社名鑑