小比企稲荷社|八王子市小比企町の神社

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小比企稲荷社|建久元年鎮座、小比企村の鎮守

小比企稲荷社の概要

小比企稲荷社は、八王子市小比企町にある神社です。小比企稲荷社は、建久元年(1190)当地に鎮座されたと伝えられ、承応2年(1652)に本殿再建、貞享3年(1686)に拝殿再建、小比企村の鎮守社だったといい、時期不詳ながら白山社・稲荷社・八幡社・鈴鹿社・白旗社を合祀したといいます。

小比企稲荷社
小比企稲荷社の概要
社号 稲荷社
祭神 宇迦御魂命
相殿 -
合祀 白山神、宇迦御魂命、応神天皇、大山祇神、白旗神
住所 八王子市小比企町1201
祭日 9月3日
備考 -



小比企稲荷社の由緒

小比企稲荷社は、建久元年(1190)当地に鎮座されたと伝えられ、承応2年(1652)に本殿再建、貞享3年(1686)に拝殿再建、小比企村の鎮守社だったといい、時期不詳ながら白山社・稲荷社・八幡社・鈴鹿社・白旗社を合祀したといいます。

新編武蔵風土記稿による小比企稲荷社の由緒

(小比企村)稲荷社
除地、一段五畝十五歩、小名時田にあり、當社も鎮座の年歴は失ひたれど、萬福寺の文書に、稲荷免としるせしもの三所まであれば、ここもその一社なるべし、本社の上屋二間に三間、拝殿二間に四間、東向、神體長七寸許、鳥居あり、柱間一丈、稲荷大明神の五字を榜す、背に神祇道菅領卜部朝臣良連とあり、例祭二月初午、村内の鎮守にて、同寺持。
末社。二社相殿、本社二向て右にあり、山王第六天を祀れり。(新編武蔵風土記稿より)

東京都神社名鑑による小比企稲荷社の由緒

建久元年(一一九〇)の創建との伝承がある。承応二年(一六五三)社殿再建し、寛文六年(一六六六)の時、除地一反五畝十七歩を受けた。貞享三年(一六八六)社殿を再建する。寛政八年(一七九六)神祇官領卜部朝臣良連(吉田家三十二代目)より位社を受けた。天保二年(一八三一)社殿造営計画し、飢饉のため、十六年後の弘化四年(一八四七)再建したのである、また六十年目ごとに式年動座祭を執行する。最近では、昭和五十三年に古式ゆかしく斎行した。白山社・稲荷社・八幡社・鈴鹿社・白旗社を合祀した。(東京都神社名鑑より)

境内掲示による小比企稲荷社の由緒

稲荷神社は、建久元年(一一九〇)に当地に鎮座されたと伝えられ、古文書によれば、承応二年(一六五二)本殿再建、貞享三年(一六八六)に拝殿再建とある。寛政八年(一七九六)には、神祇伯京都吉田家に願い出、神名帳に記載し神祇道管領式位社の称号を賜る。其の記念碑が今も鳥居の右側に残っている。今日見る社殿や彫刻は、文政十一年(一八二八)頃より計画され、弘化四年(一八四七)に完成したとある。此の間天保の大飢饉があり一時中止のやむなきに到り、名主、村民、棟梁の苦痛は、はかり知れぬものがあったと記してある。此の宮の建築に当たった棟梁は、飛騨内匠と称し、其の後日光東照宮の工事に当たったと伝えられる。其して今残る古文書の中に神社完成祝に行った御神楽、余興として行った相撲大会の記録がある、其して延々明治初期までしばしば相撲大会が行われ、神楽殿の西側の広場は、相撲場と云う名が今も残っている。時は流れて現在では、万物生産、商売繁盛の神として庶民の間に崇拝されている。(境内掲示より)


小比企稲荷社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 東京都神社名鑑