元八王子八幡神社|八王子市元八王子町の神社

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元八王子八幡神社|梶原景時創建、社領10石の御朱印状

元八王子八幡神社の概要

元八王子八幡神社は、八王子市元八王子町にある神社です。元八王子八幡神社は、鶴岡八幡宮を源頼朝が建久2年(1191)再営した際、古神体を梶原景時へ下賜、梶原景時が領有していた当地に勧請したといいます。寛政4年(1463)・文明17年(1486)と再建、八王子城主北條氏照も社領を寄附、天正19年(1591)には徳川家康より社領10石の御朱印状を受領しています。

元八王子八幡神社
元八王子八幡神社の概要
社号 八幡神社
祭神 -
相殿 -
境内社 -
住所 八王子市元八王子町3-2284
祭日 -
備考 -



元八王子八幡神社の由緒

元八王子八幡神社は、鶴岡八幡宮を源頼朝が建久2年(1191)再営した際、古神体を梶原景時へ下賜、梶原景時が領有していた当地に勧請したといいます。寛政4年(1463)・文明17年(1486)と再建、八王子城主北條氏照も社領を寄附、天正19年(1591)には徳川家康より社領10石の御朱印状を受領しています。

新編武蔵風土記稿による元八王子八幡神社の由緒

(元八王子村)幡社
小名八幡宿にあり、社領十石の御朱印を賜はる、これ天正十九年十一月なり、今村内の鎮守なり、相傳ふ昔鎌倉将軍時代、梶原平三景時此邊を領せし頃、鶴ヶ岡の八幡をここに勸請せしなりと云、今にその時の棟札存せり、其文は下にのす、それより子孫も連綿たりと見ゆ、且此神社を尊奉せしかば、造營等ありて棟札も殘れり、本社二間に三間南向、拝殿二間に五間、前を距ること一町許にして、鳥居をたつ、兩柱の間二間、茲より拝殿まではすべて左右に杉の古木茂りたり、例祭は年々八月十五日、古棟札文左にのせり、(棟札銘文省略)
又掛る所の鰐口には、天正十六年に作りしものなり、園圖上のごとし、この銘文に横川八幡宮と云ときは、古へこの地横川村の内に屬せしか、又今も隣村横川村に八幡社あれば、かの社の鰐口を戰國のまぎれに、こゝへうつせしもしるべからず、
鐘樓。拝殿の東にあり、九尺四方にして、鐘の徑二尺三寸、無銘、
梶原杉。二根あり、社の脇にあるものは已に枯稿せり、されども周り一丈三尺五寸許、今一株は表の方にあり、これは二丈四五尺廻りも有べし
阿彌陀堂。二間四面、本尊は則八幡の本地佛なり、別に除地三石を附らる、
四座合殿社。本社の西の方にあり、天満宮・牛頭天王・稲荷・愛宕の四座を合祀す、(新編武蔵風土記稿より)

東京都神社名鑑による元八王子八幡神社の由緒

当社は康平六年(一〇六三)八月、源頼義朝臣鎌倉由比郷鶴ヶ岡に石清水八幡の神を奉祀。のち治承四年(一一八〇)十月、源頼朝、大庭景義に命じてこれを小林郷総ヶ岡に遷す。建久二年(一一九一)四月宮殿の造営成り正遷座のさい、古神体をその臣梶原平三景時に賜う。景時すなわち当地が所領ゆえ(梶原屋敷あり)同年六月これをこの地に勧請。くだって寛政四年(一四六三)十月梶原修理亮家景造営し、二十年後の文明十七年(一四八五)十月、梶原修理入道道賢再建する。越えて元亀三年(一五七二)北条氏照当地に八王子城を築き居住すること数歳、この間社領を賜わる。くだって天正十九年(一五九一)十一月、将軍徳川家康公より社領朱印十石を賜わる。また、参道に老杉一株ありて梶原杉と称す。往古梶原景時八幡宮奉祀のさい、杉樹一技を杖となし、携帯してこの地に押置きけるが、根生じ成長。森々たる老樹にして、昭和三年都天然記念物に指定され、御神木として石柵を囲らし尊崇保存せしも、遂に四十七年枯死し、東京随一の大杉も愛惜のうち伐倒す。高さ三十メートル余、日通り幹四十二メートルの巨木で、地上十メートルのところから枝が下向きに垂れているところから「逆さ杉の愛称もあった。樹齢八百年である。現在、切株を銅板にて保護し在りし日の面影をとどめている。(東京都神社名鑑より)


元八王子八幡神社の周辺図

参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 東京都神社名鑑