多賀神社|武蔵介源経基が伊弉諾尊伊弉冊尊二尊を勧請
多賀神社の概要
多賀神社は、八王子市元本郷町にある神社です。多賀神社は、天慶元年(938)に武蔵介源経基が伊弉諾尊伊弉冊尊二尊を勧請、文応元年(1260)には北条時頼が社領を寄進したといいます。
社号 | 多賀神社 |
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祭神 | 伊弉諾尊、伊弉冊尊 |
相殿 | - |
境内社 | 日枝神社、第六天神社、機守・大鳥・天満・稲荷・厳島五社合殿 |
住所 | 八王子市元本郷町4-9-21 |
祭日 | 8月第一土・日曜日 |
備考 | - |
多賀神社の由緒
多賀神社は、天慶元年(938)に武蔵介源経基が伊弉諾尊伊弉冊尊二尊を勧請、文応元年(1260)には北条時頼が社領を寄進したといいます。
東京都神社名鑑による多賀神社の由緒
天慶元年(九三八)武蔵介源経基がこの地繁栄を祈って伊弉諾尊伊弉冊尊二尊を勧請し給い、のち文応元年(一二六〇)北条時頼諸国巡行の折、この地で病に倒れ、本社に古鏡一面を奉納し祈願したところ、たちどころに治癒したことから、社領七反歩を寄進し祈願所としたと伝えられている。享保十六年(一七三一)本社殿焼失したが、同二十年(一七三五)に再建した。明治二十一年拝殿の大修理を行ない、大正八年に石鳥居を、十一年には周囲の玉垣などを整備した。(東京都神社名鑑より)
新編武蔵風土記稿による多賀神社の由緒
(本郷村)多賀明神社
除地、二段四畝二十四歩、密蔵院の南にあたれり、本社六尺四方、拝殿二間に三間、東向、當社に舊き棟札ありしに、回禄の災にかかりて烏有せり、相傳ふ是村草創の百姓武笠米八と云へるは、もと近江國の人なるゆへ、本國犬上郡多賀明神をここに勧請せしなど云へど、彼舊き棟札を失ひたれば詳ならず、祭禮は六月十五日十六日の兩日なり、別當は則ち密蔵院なり(新編武蔵風土記稿より)
多賀神社所蔵の文化財
- 多賀神社神輿(市指定有形文化財)
多賀神社神輿
多賀神社例大祭の神幸祭(神輿渡御神事)に重要な役割を果たしてきている本神社神輿および神輿台車は氏子十二ヶ町共有のもので、明治十五年(一八八二)東京浅草で建造されたものと伝えられている。
本神輿は方形延べ屋根形式、軒裏は放射状に垂木を配した二軒扇棰(垂棰)、三手先斗栱(尾棰組込み)などの精緻な組物などの技術が駆使され、典雅な外観をつくっている。
神輿台車は、三輪御所形式、左右に疑宝珠高欄を配するなど形態とも古式を踏襲している。
神輿の総重量三トン、高さ二・五メートルを有し、通称「千貫神輿」として知られている。(八王子市教育委員会掲示より)
多賀神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 東京都神社名鑑