諏訪町諏訪神社|八王子市諏訪町の神社

猫の足あとによる多摩地区寺社案内

諏訪町諏訪神社|大治元年創建

諏訪町諏訪神社の概要

諏訪町諏訪神社は、八王子市諏訪町にある神社です。諏訪町諏訪神社は、疫病が流行した大治元年(1126)に諏訪大社を勧請して創建、下一分方・上一分方・大楽寺三村(上壱分方町・諏訪町・泉町・大楽寺町・四谷町・叶谷町一帯)の鎮守として祀られてきたといいます。元亀年間(1570-1573)には八王子城主北条氏照が社領三千坪を寄進、社殿を造営するなど、崇敬を受けてきました。

諏訪町諏訪神社
諏訪町諏訪神社の概要
社号 諏訪神社
祭神 建御名方命、八坂刀売命
相殿 -
境内社 加能稲荷神社、天満宮、鷲明神・秋葉権現・山王権現・火玉明神・水玉明神・大国主宮
住所 八王子市諏訪町1
祭日 8月26・27日
備考 -



諏訪町諏訪神社の由緒

諏訪町諏訪神社は、疫病が流行した大治元年(1126)に諏訪大社を勧請して創建、下一分方・上一分方・大楽寺三村(上壱分方町・諏訪町・泉町・大楽寺町・四谷町・叶谷町一帯)の鎮守として祀られてきたといいます。元亀年間(1570-1573)には八王子城主北条氏照が社領三千坪を寄進、社殿を造営するなど、崇敬を受けてきました。

新編武蔵風土記稿による諏訪町諏訪神社の由緒

(下一分方村)
諏訪明神社
除地免、三千坪、御供免畑八畝十二歩、小名諏訪宿にあり、社傳に當社は下一分方・上一分方・大楽寺三村の鎮守なり、大治元年七月廿三日信濃國諏訪大明神をこゝに崇め祀れり、元和九年當所の御代官高室金兵衛の子息、病に罹り療養の驗なかりしに、當社に祈りしが病疾忽癒たれば、奇異の思ひをなし、當社を再興せり、後貞享元年火災によりて、舊記及び諸所より社納の品を失ひたりと、さあらんには舊きよりの鎮座なり、
本社。五尺四方、銅瓦葺南向、南北へ五間ばかりの瑞籬あり、本社の正面に大門あり、長さ二町餘、路幅二間半、祭神健御名方美命、例祭七月廿六七の兩日をもて行へり、
幣殿。五間に三間、いづれも板葺なり、
鳥居二基。一は町並の入口にあり、一は大門の中程にあり、
末社。山王權現、火玉明神、水玉明神、鷲明神、天満宮、稲荷明神、秋葉權現、大國主宮。いづれも小祠にて、本社の左右にならべり。
神主。澁谷若狭、社地入口鳥居の内西傍に住せり、(新編武蔵風土記稿より)

東京都神社名鑑による諏訪町諏訪神社の由緒

大治元年(一一二六)天下に疫神流行死亡の人民その数を知らず、時に我れ信濃国の諏訪の神なり、我を崇め祀らば子孫繁栄すべしと神託あり、よって秋七月二十三日鎮座氏神とす。その後、八王子城主北条氏照当社を崇拝し、元亀年間(一五七〇-七三)社領三千坪寄進社殿造営す。元和九年(一六二三)代官高屋金兵衛息病にかかりしも当社に祈願平癒をもって社殿再建す。明治四十四年幣殿拝殿ほか再建す。
その他は『新編武蔵国風土記稿』にあり略す。(東京都神社名鑑より)


諏訪町諏訪神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 東京都神社名鑑