高月金毘羅社|海運(開運)の神社として天明年間に創建
高月金毘羅社の概要
高月金毘羅社は、八王子市高月町にある神社です。高月金毘羅社は、天明年間(1781-1789)に、水運業を主力産業としていた瀧村村民が、海運(開運)の神社として当時流行していた金毘羅社を、多摩川を一望できる当地に建立したといいます。現在は高月駒形神社の飛地境内として祀られています。
社号 | 金毘羅社 |
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祭神 | - |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 八王子市高月町、都立滝山公園地 |
祭日 | - |
備考 | - |
高月金毘羅社の由緒
高月金毘羅社は、天明年間(1781-1789)に、水運業を主力産業としていた瀧村村民が、海運(開運)の神社として当時流行していた金毘羅社を、多摩川を一望できる当地に建立したといいます。現在は高月駒形神社の飛地境内として祀られています。
新編武蔵風土記稿による高月金毘羅社の由緒
(高月村附瀧村)金毘羅社
城跡本丸の頂にあり、小祠二間に三間二十年このかた建立せり、村民持。(新編武蔵風土記稿より)
境内石碑による高月金毘羅社の由緒
金毘羅社再建之碑
由来
国史跡滝山城本丸櫓台に鎮座する金毘羅社は、今を去る二百年余り前天明(一七八一~)年代に滝村持ちで造営されたと武蔵風土記に記載されています。江戸時代から本丸一帯は麓の滝村(現八王子市高月町滝地区)持ちで年貢の面除地として受け継がれており(地区の氏神駒形神社境外地)滝の城山とも呼ばれ広く滝山城の名を後世に伝えております。
戦国の乱世は去り、当時滝村では広い水田の米、豊富な薪炭、川魚等を産物とし豊かな村として栄え、多摩川の漁場は御本丸御用地に指定され、将軍へ鮎の献上を行ったと記録されています。農閑期には多摩川、秋川が合流する地の利を生かして、江戸の繁栄に伴う需要増から森林材の中継地として、材木筏を組み物資を載せて多摩川を下り、江戸への輸送を村ぐるみで生業とし、その成果は拝島、熊川へ農地を拡大して栄えて来ました。
江戸文化華やかなりし頃、村人たちが水運の安全と事業の繁栄を願って、多摩川を一望できる当地に海運(開運)の神社として名高い金毘羅様を祀ったのであります。以来、農業、殖産に家内安全、無病息災などの願いごとを叶えて下さる神様として近郷近在より多くの信者が参詣して賑わいを見せていたと語り継がれています。
地域の文化、産業の発展に多大な貢献をした先祖の残した貴重な遺産であり、八王子市の名所都立滝山公園内にあり「神社」として、文化、経済の発展と無病息災、永遠の平和を祈願し、金毘羅社の氏子、加住地区有志の御奉賛により創建二百年事業として社殿の再建を行いました。
平成六年三月吉日 金毘羅社再建委員会(境内石碑より)
高月金毘羅社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 東京都神社名鑑