梅坪天神神社|八王子市梅坪町の神社
梅坪天神神社の概要
梅坪天神神社は、八王子市梅坪町にある神社です。梅坪天神神社の創建年代等は不詳ながら、北野威徳天神を天安年間(857-858)奉斎し、梅坪の天神と称したと伝えられます。鎌倉時代には、鎌倉幕府4代将軍藤原頼経の家臣富所左衛門同左近将監が嘉禎3年(1237)に社殿を再建したといい、江戸期には、梅坪の鎮守として祀られていました。文化8年(1811)地内に祀られていた子守明神社(及び相殿の兜明神)を合祀しています。
社号 | 天神神社 |
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祭神 | 天穂日命 |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷社 |
住所 | 八王子市梅坪町266 |
祭日 | 4月第3日曜日 |
備考 | - |
梅坪天神神社の由緒
梅坪天神神社の創建年代等は不詳ながら、北野威徳天神を天安年間(857-858)奉斎し、梅坪の天神と称したと伝えられます。鎌倉時代には、鎌倉幕府4代将軍藤原頼経の家臣富所左衛門同左近将監が嘉禎3年(1237)に社殿を再建したといい、江戸期には、梅坪の鎮守として祀られていました。文化8年(1811)地内に祀られていた子守明神社(及び相殿の兜明神)を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による梅坪天神神社の由緒
(拝島領梅坪村)
天神社
除地、四段一歩、社地、二百坪、村の中程なり、小社にて拝殿あり、舊尺に二間南向、當社及び下に載する子守明神の免田村内に於て、四段一歩の除地ありといへり、例祭年々九月廿五日、村の持なり、
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子守明神社
社地、六十坪、村の南の方にあり、小社にて上屋を建つ、東向、古は相殿に兜明神と號して、古き兜一つをおさめありしが、いつの比か賊に奪はれしとなり、 (新編武蔵風土記稿より)
東京都神社名鑑による梅坪天神神社の由緒
創建の年代は詳らかでないが、天安(八五七-五八)のころ北野威徳天神を奉斎し、梅坪の天神と称した。嘉禎三年(一二三七)藤原朝臣頼経公の臣、富所左衛門同左近将監社殿再建する。永禄十二年(一五六九)十月三日武田信玄滝山城攻略の時、兵火により焼失する。天和三年(一六八三)再建し、享保三年(一七一八)、享保二十一年(一七三八)二月、宝暦十一年(一七六一)十一月社殿再建し、文化八年(一八一一)九月、子安明神、甲明神を合祀して再建する。例祭には簓獅子舞が奉納される。昭和三十五年拾月二十八日市指定となる。昭和四十七年四月社殿造営する。(東京都神社名鑑より)
梅坪天神神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 東京都神社名鑑