片倉城跡。自然地形を生かした城郭跡
片倉城跡の概要
片倉城跡は、八王子市片倉町にある名所旧跡です。片倉城跡は、北・東・南の外周部は約三〇mの急崖となっており、自然地形を生かした城郭で、応永年間(1394-1428)には大江備中守師親の、その後は大江氏、その末裔の長井氏の城郭として使用され、16世紀に廃城となったのではないかといいます。
名称 | 片倉城跡 |
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見どころ | 城跡 |
入場時間 | - |
入場料 | 無料 |
住所 | 八王子市片倉町2475片倉城跡公園 |
備考 | 片倉住吉神社 |
片倉城跡の由来
片倉城跡は、北・東・南の外周部は約三〇mの急崖となっており、自然地形を生かした城郭で、応永年間(1394-1428)には大江備中守師親の、その後は大江氏、その末裔の長井氏の城郭として使用され、16世紀に廃城となったのではないかといいます。
新編武蔵風土記稿による片倉城跡について
(片倉村)古蹟片倉城蹟
傳へ云、應永の頃大江備中守師親在城せりと此城古は東南北の三面は沼にして、西には高き平地あり、その所に侍の屋敷町などありしと云、今見る所は西より片倉村の眞中にさし出て、高さ五六丈の山なり、大手口は西の方山上にて、廣さ南北百間あまり、狭き所五六十間僅かなる芝原なり、東の山上に住吉の社あり、是所に櫓の跡と云傳ふる所あり、この山の北の際を小川流れ、これを湯殿川と呼ぶ、又南に小川あり、宇津貫川と云、この二流の川城山の東の方四丁ほどをすぎて山足張いて、狭窄の地にて昔水流をつき留し所なりと云、かかりければ城下は尤池沼とも成しなるべし。(新編武蔵風土記稿より)
東京都教育委員会掲示による片倉城跡について
片倉城跡は、湯殿川と兵衛川の合流点を臨む北東方面に張り出した丘陵先端部に位置する中世城館です。北・東・南の外周部は約三〇mの急崖となっており、自然地形を生かした城郭です。西からの丘陵頂部は平坦ですが、深い空堀により画された主郭と第二郭からなります。現道の配置等から第二郭の西方にも堀切りがなされ、三郭からなる直線連郭式城郭であった可能性もあります。空堀に画された二つの郭には土塁や櫓台、腰曲輪、土橋などが良く残ります。
『新編武蔵風土記稿』などでは応永年間(一三九四-一四二八)の大江備中守師親の在城を記し、大江氏や大江氏の後裔の長井氏の城郭とされていますが、確証はありません。
築城主体や年代の特定は困難ですが、深大寺城跡などの他の中世城郭との比較から一五世紀後半以降に築城され、一六世紀代に廃城になったと推定されています。しかし、城郭としての配置や技法、古川越街道や鎌倉街道と隣接する交通の要衝であることから、小田原北条氏による築城や利用の可能性も指摘されています。(東京都教育委員会掲示より)
片倉城跡の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿