賓生寺|八王子市西寺方町にある真言宗智山派寺院

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大幡山賓生寺|八王子三十三観音霊場、多摩八十八ヶ所霊場

賓生寺の概要

真言宗智山派寺院の賓生寺は、大幡山蓮華院と号します。賓生寺は、明鑁僧正が応永32年(1425)に大幡観音堂の別当寺として創建、第十世賴紹僧正は北条氏照の帰依を受け、寺勢大いに振い、末寺門徒寺38ヶ寺の他、塔頭も擁していたといいます。八王子城落城に際し、城中で護摩修行を行っていた頼紹僧正は、戦火により焼死してしまったものの、徳川家康が関東入国した際には天正19年(1591)に寺領10石の御朱印状を受領、中本寺格の寺院でした。山号は、当地の旧名寺方村小名大幡に因んだものです。八王子三十三観音霊場5番、多摩八十八ヶ所霊場65番です。

賓生寺
賓生寺の概要
山号 大幡山
院号 蓮華院
寺号 賓生寺
住所 八王子市西寺方町998
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 -



賓生寺の縁起

賓生寺は、明鑁僧正が応永32年(1425)に大幡観音堂の別当寺として創建、第十世賴紹僧正は北条氏照の帰依を受け、寺勢大いに振い、末寺門徒寺38ヶ寺の他、塔頭も擁していたといいます。八王子城落城に際し、城中で護摩修行を行っていた頼紹僧正は、戦火により焼死してしまったものの、徳川家康が関東入国した際には天正19年(1591)に寺領10石の御朱印状を受領、中本寺格の寺院でした。山号は、当地の旧名寺方村小名大幡に因んだものです。

新編武蔵風土記稿による賓生寺の縁起

(寺方村)
寶生寺
小名大幡にあり、新義眞言宗にて、大幡山蓮華院と云、醍醐報恩寺の末、天正十九年十一月御朱印寺領十石を賜へり、開山明鑁延文五年十月一日寂せりと、この寂年疑ふべし、そのゆへは隣村川口村圓福寺の什物大般若經の末巻に、應永三十四年八月十七日、武州多西郡由井郷大幡寶生寺書、僧都明鑁五十八歳とあり、應永三十四年五十八歳ならば、僧都は應安三年の生なるべし、延文五年は應安を上ること十年に餘れり、然れば其誤なることは論をまたざれど、とにかく古き起立なるべし、又同大般若經の末に、於州多西郡由井郷、大幡觀音寶生寺書寫云々と記せしものあり、是によれば、昔は今境内に立る觀音堂に屬せし別當寺なりしとみえたり、又當寺の過去帳に、第十世賴紹僧正は北条氏照が歸依僧たるにより、僧正にも任じたるが、天正十八年六月廿三日八王子落城の時、末寺西蓮寺住僧祐覺をともなひ、たまたま城中にあって護摩修行し、出城に及ばずして燒死せりといへり、かかるちなみにや、北條家の文書數通を什寶とせり、その文は後に出せり、本尊不応坐像にして、長二尺餘、本堂は近き年回禄の災にかゝりて、未だ再造に及ず、
惣門。本堂跡の正門一丁餘を隔てあり、東向にて四足門、茅葺一丈四方、當寺創建の時の造作なるよしいひ傳へり、こゝにさまざまの彫物あり、そのさま人物鳥獣草木等、いと古色なれば舊き世の創建なるべしと云、
中門。惣門の正面にあり、
鐘樓。中門を入て左の方にあり、七尺四方、鐘の大さ二尺七寸許、貞享年中鑄造の鐘なり、
觀音堂。五間四方、觀音の立像、長一尺二寸、行基菩薩の作と云、この堂は前にもしるすごとく、當寺創建以前のものなるよし傳へたれば、古き造立なることしるべし、(新編武蔵風土記稿より)

「八王子市史」による賓生寺の縁起

宝生寺(寺方村―西寺方町九九八)
大幡山蓮華院と号し、本尊不動明王、元来は鎌倉末期の創建と伝える大幡観音堂の別当寺であり、開山明鑁(寂年不詳)が応永三二年(一四二五)六月創建し、御朱印一〇石(天正一九年一一月)、境内二、三六〇坪の名刹である。戦国時代には北条氏の帰依を受け、永禄一〇年(一五六七)一時滝山城下に移転したが、寺勢大いに振い、盛時には寺内に多くの塔中も存在した(当寺所蔵信康文書の「當福院」もその一例であろう)。明治年間にはなお、境内に本堂(一〇〇坪)・庫裡(二八坪)・書院(三〇坪)・位牌堂(八坪)・玄関(三坪)・表門・中門・鐘楼堂等数多くの建造物が存在したが、昭和二〇年八月二日戦災にあい、現今の建物は戦後のものである。観音堂の建物は破損はなはだしく、明治三五年一二月宝生寺に合併されて廃堂となった。また歴代住僧に上川町円福寺所蔵の大般若経の筆者であり、能筆家の開山明鑁、八幡社(元横山町)の遷宮導師であった俊廣(天文一三年 一五四四 一〇月九日寂)天正一八年(一五九〇)六月二三日八王子城中で焼死した頼紹などの名僧が輩出した。
寺宝には木造毘沙門天立像があり、都重宝に指定されている。現在、当寺所蔵の文書は次のごとくである。
永禄一〇年一一月一二日氏照文書 一通
天正一八年六月二四日木村常陸介、前田孫四郎制札 二通
天正一八年(?) 寅一一月一二日信康文書 一通
天正一八年(?) 一一月一二日信康書状 一通(「八王子市史」より)


賓生寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「八王子市史」