川辺堀之内日枝神社|川辺堀之内村の開村に際して創建
川辺堀之内日枝神社の概要
川辺堀之内日枝神社は、日野市川辺堀之内にある神社です。川辺堀之内日枝神社の創建年代等は不詳ながら、江戸時代初期の川辺堀之内村開村にあたり、比叡山の日枝大社を勧請して創建したといいます。
社号 | 日枝神社 |
---|---|
祭神 | 大山咋命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 日野市川辺堀之内594 |
祭日 | - |
備考 | - |
川辺堀之内日枝神社の由緒
川辺堀之内日枝神社の創建年代等は不詳ながら、江戸時代初期の川辺堀之内村開村にあたり、比叡山の日枝大社を勧請して創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による川辺堀之内日枝神社の由緒
(川邊堀之内村附持添新田)山王社
村の南方浅川の邊にあり、慶安年中御朱印社領七石を御寄附あり、則ち社地もその内なりと云、小社にして二間に二間半の上屋あり、勧請の年暦を詳にせず、例祭は九月九日なり(新編武蔵風土記稿より)
東京都神社名鑑による川辺堀之内日枝神社の由緒
詳らかではないが、徳川時代のはじめに川辺堀之内村設置にあたり、里長が京都の比叡山麓の日吉大神を勧請奉仕して社を建立し、今に伝えるという。(東京都神社名鑑より)
「日野市史」による川辺堀之内日枝神社の由緒
創建年代不詳。伝承によれば、江戸時代のはじめ川辺堀之内村の成立に当って、名主は村民安穏祈願のため、近江国坂本の日吉大神を勧請奉仕して今に伝えるという。別当は延命寺であったが、明治二年以降八坂神社神職がこれに代わった。
日枝神社にはもと境内末社として天王社があり、日枝神社の祭りを山王祭と呼ばないで天王祭と呼んだと言う。また川流天王の伝説がある。
社殿の背後にそびえるムクノキは樹齢三百年以上と推定され、樹高約七十六尺(二十三メートル)、目通り幹囲十五尺(四・五メートル)、市天然記念物に指定されている。(「日野市史」より)
川辺堀之内日枝神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 東京都神社名鑑
- 「日野市史」