八幡大神社|由井別当宗弘の孫・田村駄二郎知実が勧請
八幡大神社の概要
八幡大神社は、日野市万願寺にある神社です。八幡大神社は、別当寺安養寺所蔵の経本によると、由井別当宗弘の孫・田村駄二郎知実が暦応2年(1339)当地に住み男山八幡宮を勧請して創建、旧下田村の鎮守社として祀られたといいます。
社号 | 八幡大神社 |
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祭神 | 誉田別命、仁徳天皇 |
相殿 | - |
境内社 | 十二神社、雹祖神 |
住所 | 日野市万願寺4-18-2 |
祭日 | 例祭日9月15日 |
備考 | - |
八幡大神社の由緒
八幡大神社は、別当寺安養寺所蔵の経本によると、由井別当宗弘の孫・田村駄二郎知実が暦応2年(1339)当地に住み男山八幡宮を勧請して創建、旧下田村の鎮守社として祀られたといいます。
新編武蔵風土記稿による八幡大神社の由緒
(下田村安養寺項)八幡社。門の前にあり、小祠にて、二間半四方の覆屋あり、村の鎮守にして、例祭は九月十五日なり。
十二天社
見捨地、二段許、安養寺の巽一町許にあり、村内安養寺持 (新編武蔵風土記稿より)
東京都神社名鑑による八幡大神社の由緒
創建の年代は、暦応二年(一三三九)と別当寺安養寺所蔵の経本に記されており、明治以前は安養寺が管理していた神社であり、「新編武蔵風土記稿」によると、安養寺の門前に二間半四方の覆屋ありと記されており、その後宝暦三年(一七五三)四月遷宮された。(東京都神社名鑑より)
日野市史による八幡大神社の由緒
創建年代は不詳。伝によれば、暦応二年(一三三九)武蔵七党の西党の嫡流西太夫宗忠の弟由井別当宗弘の孫、田村駄二郎知実がこの地に住み、男山八幡宮を勧請して社殿を建立、田村山安養寺がその別当となったと言う。同寺の住職周盛の遺文によれば、その後の修復は天文五年(一五三六)・貞享五年(一六八八)・宝暦三年(一七五三)の各年代に行われた模様である。以来興廃を経て昭和二十四年十月境内神木を伐採して拝殿を新築した。
境内十二天社はもと下田二〇〇番地にあったが、明治十一年(一八七八)同所に下田小学校開設のさい、一時その敷地の西北隅に移したが、その後八幡大神社拝殿の南側に移し、大正年間さらに現在地に三遷されたものと伝える。
江戸時代末まで、別当安養寺によって祭儀が行われてきたが、明治二年以後は神職に替わった。(日野市史より)
八幡大神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 東京都神社名鑑
- 日野市史