三沢八幡神社|鎌倉時代末期以前の創始
三沢八幡神社の概要
三沢八幡神社は、日野市三沢にある神社です。三沢八幡神社はの創建年代等は不詳ながら、正和元年(1312)の書状に当社の記載があるといい、鎌倉時代末期以前の創始ではないかといいます。三沢村上郷の鎮守社で、寛永16年(1639)には社領6石6斗の御朱印状を拝領したといいます。明治42年に中郷の神明社、下郷の神明社を合祀、さらに諏訪社を合祀したといいます。
社号 | 八幡神社 |
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祭神 | 応神天皇、建御名方命、大山祇命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 日野市三沢3-23-3 |
祭日 | 例祭日9月14・15日 |
備考 | - |
三沢八幡神社の由緒
三沢八幡神社はの創建年代等は不詳ながら、正和元年(1312)の書状に当社の記載があるといい、鎌倉時代末期以前の創始ではないかといいます。三沢村上郷の鎮守社で、寛永16年(1639)には社領6石6斗の御朱印状を拝領したといいます。明治42年に中郷の神明社、下郷の神明社を合祀、さらに諏訪社を合祀したといいます。
新編武蔵風土記稿による三沢八幡神社の由緒
(三澤村)
八幡社
村の西にあり、小社にて覆屋二間半に四間巽向なり、前に鳥居あり、社領六石六斗御寄附の御朱印を賜へり、棟札に寛永十六年九月廿九日とあり、例祭三年に一度行へり、村内上郷の鎮守なり。
諏訪社
除地、八畝十九歩、小名中郷にあり、小祠なり、前に鳥居をたつ、医王寺の持
神明社
除地、一段五畝十歩、村の中程にあり、小祠にて覆屋あり、前に鳥居をたつ、例祭は三年に一度なり、中郷の鎮守にて医王寺の持なり、棟札に寛永九年としるせり。
神明社
除地、五畝十四歩、村の下郷にあり、小祠にて覆屋あり、前に鳥居をたつ、是も例祭は三年に一度行はる、下郷の鎮守なり、医王寺の持、寛永七年の棟札あり、其比よりの鎮守なるか。(新編武蔵風土記稿より)
東京都神社名鑑による三沢八幡神社の由緒
創建の年代は詳らかでないが、上郷に鎮座し、寛永十六年(一六三九)に社殿造営し、朱印六石六斗を受ける。文化四年(一八〇七)九月再建の時、程久保村の氏子中より鰐口の奉納がある。明治四十二年五月中郷の神明社と下郷の神明社を合祀する。大正六年四月社殿再建する。三沢の地に遷座の諏訪神を八幡神社に合祀、現社殿は昭和五十三年八月の新造立である。(東京都神社名鑑より)
日野市史による三沢八幡神社の由緒
創祀年代不詳。この社に残る棟札は、寛永十六年(一六三九)九月二十九日付のもの一枚のみであったが、正和元年(一三一二)八月十八日付「乎忠網譲状」により、創建年代はさらにさかのぼることが裏付けられた。
第二次大戦後拝殿の朽損特に雨漏りなどから、鉄筋コンクリート造の建替えが決められた。これに要する建築資材の運搬その他の事情から、山下に遷座することが提案され旧地を下山し、中郷の旧神明社跡地近くに新築することとなった。昭和五十三年春落成、四月遷宮式が行われた。同時に第二次大戦後旧社地前山を離れて、この地に遷座されていた諏訪・山王両社の祭神を合祀した。(日野市史より)
三沢八幡神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 東京都神社名鑑
- 日野市史