東光寺神明社|日野市栄町の神社
東光寺神明社の概要
東光寺神明社は、日野市栄町にある神社です。東光寺神明社の創建年代は不詳ですが、日奉宗頼の一族が当地に勧請したとも、和田義盛の残党(建保元年1214年に敗北)が創建したとも伝えられるといいます。
社号 | 神明社 |
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祭神 | 天照皇大神 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 日野市栄町5-19-13 |
祭日 | - |
備考 | - |
東光寺神明社の由緒
東光寺神明社の創建年代は不詳ですが、日奉宗頼の一族が当地に勧請したとも、和田義盛の残党(建保元年1214年に敗北)が創建したとも伝えられるといいます。
新編武蔵風土記稿による東光寺神明社の由緒
(日野本郷)
該当なし(新編武蔵風土記稿より)
東京都神社名鑑による東光寺神明社の由緒
創立年代は不詳であるが、武蔵七党の中の西党の祖日奉宗頼の一族がこの地に住み、伊勢神宮を勧請したとも、和田義盛の残党(建保元年〜一二一三年に敗北)がこの地に住み、社を建てたともいわれている。神明社の裏山に日奉城(砦)を構え、付近には古墳(七ツ塚)群があり、刀剣十振や埴輪等を出土し、ここには金刀比羅宮が祀ってある。大正七年本殿を改築する。(東京都神社名鑑より)
日野市史による東光寺神明社の由緒
創建年代不詳。武蔵七党の西党の支流立川氏がこの地に土着し、伊勢神宮を勧請したとも、和田義盛が執権北条義時に敗れ、その子孫がこの地に住み、伊勢神宮を勧請して社を建てたとも言われている。江戸時代には別当万照山成就院、明治二年(一八六九)以後は八坂神社の神職がこれに替わる。大正七年(一九一八)十二月本殿を改築。昭和十四年本殿・拝殿・手洗舎等焼失、翌十五年九月十五日本殿並びに拝殿を再建竣工する。
また昭和四十九年社殿を改修、その記念碑がある。(日野市史より)
東光寺神明社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 東京都神社名鑑
- 日野市史