大久山善生寺|地頭大久保助三郎、日野七福神の大黒天
善生寺の概要
法華宗陣門流寺院の善生寺は、大久山と号します。善生寺は、地頭大久保助三郎が、その娘善生院妙蓮(寛永21年1644年卒)を開基として、日是(寛文8年1668年寂)を開山に迎えて創建したといいます。日野七福神の大黒天です。
山号 | 大久山 |
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院号 | - |
寺号 | 善生寺 |
住所 | 日野市東豊田2-26-3 |
宗派 | 法華宗陣門流 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
善生寺の縁起
善生寺は、地頭大久保助三郎が、その娘善生院妙蓮(寛永21年1644年卒)を開基として、日是(寛文8年1668年寂)を開山に迎えて創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による善生寺の縁起
(豊田村)善生寺
除地、三百七十六坪、村の東よりにあり、日蓮宗、開山日是寛文八年六月七日寂す、開基善生院妙蓮寛永廿一年二月一日死す、これは地頭大久保助三郎が女なり、本尊日蓮の像を安す、本堂六間に九間半、巽向なり、寺の後は山にて前は水田なり、境内古は村の舊家平左衛門と云もののやしきなりしに、寺建立につきて地頭へささげしとぞ、今に至まで妙蓮冥福のため、地頭より年々米三十俵づつを寄進すく、銘文あり、左にのす(銘文省略)
寺寳。龍ノ玉一顆、羊ノ玉一顆、牛黄ノ玉一顆。以上三品は近き比地頭より寄附する所なりと云り、疑しきものなり。(新編武蔵風土記稿より)
日野市史による善生寺の縁起
大久山と号し、日蓮宗、本成寺(新潟県三条市)末である。当寺は正保二年(一六四五)、穎主であった旗本大久保勘三郎忠良が、前年(寛永二十一年[一六四四]二月二十一日)、亡くした息女善生院殿妙蓮の追福のために建立、妙蓮を開基とする。開山は忍性院日是(寛文八年[一六六八]六月七日寂)である。爾来大久保家の菩提寺として、妙蓮冥福のため年々米三十俵ずつ寄進があった。
寺域は豊田の旧家山口平左衛門が、同寺建立の際大久保家に献じた地といい、現在の境内は六百九十三坪である。
伽藍はかつて本堂・庫裡・山門を配置していたが、山門・庫裡は朽損のため、明治初年取り潰され、本堂のみが残された。南東向き瓦葺きで間口六間・奥行七間半、本尊は十界勧請の曼荼羅で、仏壇中央には日蓮上人の木像を安置している。また左側仏壇上には明治年間廃堂となった豊田薬師堂(東豊田)の本尊薬師如来木彫の坐像高さ約一尺および十二神将が安置されている。東の庵室には観世音菩薩立像高さ一尺二寸を安置する。
戦後、書院・庫裡・鐘楼の造営が行われ、昭和四十八年に落慶した。さらに同年一篤志家の寄進によって重さ二百四十八貫(九三〇キログラム)の梵鐘一口が懸吊された。これに加えて寺苑に巨岩を配し、浄池を開いて、荒廃の甚だしかった寺観も一新された。
なお本堂には慶安元年(一六四八)八月十三日大久保氏が亡父忠勝菩提のために鋳た、半鐘一口を懸けている。(日野市史より)
善生寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 日野市史