百草観音堂|普光山福王寺と号す寺院、武相卯歳観音霊場四十八ヶ所
福王寺の概要
仏教寺院の百草観音堂は、普光山福王寺と号します。百草観音堂の創建年代等は不詳ながら、明治維新後に廃寺となった慈岳山松連寺(現百草八幡神社地)境内にあった仏堂だといい、本尊観音像は、源家代々の御守本尊を、源頼義が松連寺(真慈悲寺)を再建する際に納めたものと伝えられ、武相卯歳観音霊場四十八ヶ所9番となっています。
山号 | - |
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院号 | - |
寺号 | - |
住所 | 日野市百草849-1 |
宗派 | - |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
百草観音堂の縁起
百草観音堂の創建年代等は不詳ながら、明治維新後に廃寺となった慈岳山松連寺(現百草八幡神社地)境内にあった仏堂だといい、本尊観音像は、源家代々の御守本尊を、源頼義が松連寺(真慈悲寺)を再建する際に納めたものと伝えられ、武相卯歳観音霊場四十八ヶ所9番となっています。
新編武蔵風土記稿による百草観音堂の縁起
(百草村)観音堂
(松連寺の)門を入て左にあり、三間に三間半、千手観音の木像立身なるを安置す、腹籠に閻浮檀金にて作れる長一寸八分なるを安せり、縁起云當山千手観音は、武相三十三所札所の一なり、弘法大師入唐の比彫刻する所にして、源家代々の御守本尊なりしを、伊豫守頼義當山再建の時、納め玉ふ霊験の像なりと云々、数度軍功の奇特ありし由なとしるす、ここにはのせず。(新編武蔵風土記稿より)
百草観音堂所蔵の文化財
- 百草観音堂仏教彫刻群
百草観音堂仏教彫刻群
百草観音堂に安置されている仏教彫刻群は、平安時代〜江戸時代までの様式を備え、いずれも美術的・技巧的に優れたものである。
これらは、平安時代末〜中世にかけて百草に存在したと推定される真慈悲寺や、江戸時代に存在した桝井山松連寺と後に続く慈岳山松連寺との関連が考えられ、百草地区における寺院の変遷を考える上で重要なものである。
1.木造聖観音菩薩立像(平安時代、一二世紀)
2.木造十一面観音菩薩立像(江戸時代、宝永[一七〇四〜一一]ないし享保年間[一七一六〜三六])
3.木造阿弥陀如来坐像(鎌倉時代、一四世紀)
4.木造大日如来坐像(平安時代、一二世紀)
5.木造僧形倚像(江戸時代、一八世紀)
6.木造僧形倚像(江戸時代、一八世紀)
附
横幕(真慈悲寺弥陀如来と墨書。年代不明)
手水鉢(小林正義銘。宝永五年一七〇八銘)
鰐口(銘文あり。江戸時代、一九世紀)
(日野市教育委員会掲示より)
百草観音堂の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿