稲城青渭神社|稲城市東長沼の神社

猫の足あとによる多摩地区寺社案内

稲城青渭神社|延喜式内社、旧郷社

稲城青渭神社の概要

稲城青渭神社は、稲城市東長沼にある青渭神社です。稲城青渭神社の創建年代は不詳ですが、光仁年中に創建したと伝えられ、延長5年(927)に作成された延喜式神名帳に記載されている多摩八座のうちの一社青渭神社と比定されています。江戸時代には、青沼社・青沼大明神・大沼明神と称していたといい、明治6年には郷社に列格していました。

稲城青渭神社
稲城青渭神社の概要
社号 青渭神社
祭神 青渭神、猿田彦命、天鈿女命
相殿 -
境内社 -
住所 稲城市東長沼1054
祭日 祭礼日10月1日
備考 延喜式式内社、旧郷社



稲城青渭神社の由緒

稲城青渭神社の創建年代は不詳ですが、光仁年中に創建したと伝えられ、延長5年(927)に作成された延喜式神名帳に記載されている多摩八座のうちの一社青渭神社と比定されています。江戸時代には、青沼社・青沼大明神・大沼明神と称していたといい、明治6年には郷社に列格していました。

新編武蔵風土記稿による稲城青渭神社の由緒

(東長沼村)青沼社
村の西に在。猿田彦命を祀れり。青沼大明神と号す。相傳ふ此邊に大なる沼ありて、その沼より神体出現せり。故に昔は大沼明神とかきしと。されどこの説もかたりつたへのみなれば、いかがはあらん。「神名帳」にのせたる青渭神社は、もしくは当社ならんかとおもはるれど、郡内上澤井村(現青梅市)にも青渭神社と称する社あり。かの社傳もたしかならざれば、いささかここにも記しおくのみ、今はおしなべて水田となれり。小社にて三間半に四間半の覆屋あり。前に鳥居をたつ。村内の鎮守なり。神主福嶋左内。(新編武蔵風土記稿より)

稲城市掲示による稲城青渭神社の由緒

昔はこの付近に大きな青い沼があり、その神霊を祀ったことが起源とされる。そのために別に青沼大明神とも称される。祭神は出雲系の青渭神で農耕や生活に霊験あらたかな神である。本殿は昭和49年に改築されたものである。
毎年10月1日の祭礼には、市指定文化財の獅子舞が奉納される。この獅子舞の起源を明らかにするものはないが、大正4年より23年間中断していたのを、昭和12年に復活して現在にいたる。舞の形は、大獅子、女獅子、求獅子の三頭の獅子と天狗によるもので、はやし方は笛吹、貝吹、歌方によって構成される。(稲城市掲示より)

境内掲示による稲城青渭神社の由緒

当社創建の年代は詳らかでないが、光仁年中の創立との伝承がある。延喜式神名帳所載の多摩八座の一社で古社である。
祭神は青渭神猿田彦命天鈿女命を祀る。
昔は大沼明神又は青沼大明神と称した。
大祭には青渭獅子舞奉納の神事がある。現社殿は昭和四十九年の造営であるが本殿は往昔のままで数百年を経ている。明治六年郷社に列せらる。(境内掲示より)


稲城青渭神社所蔵の文化財

  • 青渭神社獅子舞

青渭神社獅子舞

毎年十月一日の青渭神社祭礼当日に行われる。
九月になると稽古をはじめ、九月三十日に当家(獅子舞の代表者)の庭先で揃い獅子を舞う、十月一日に青渭神社で奉納され、翌日は周辺の神社で舞い、最後に当家の庭先で舞い収めをする。
舞いは大獅子、女獅子、求獅子、の三頭の獅子と天狗によるもので、囃子方は笛吹、貝吹、歌方によって構成される。
この獅子舞は大正四年より二十三年間中断していたが、昭和十二年に復活され、現在に至っている。以前は市内の他地区でも見られた行事であるが、しだいに消滅し、現在では東長沼と矢野口に残るのみである。(稲城市教育委員会掲示より)


稲城青渭神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿