平尾杉山神社|延徳4年銘の懸仏、平尾の鎮守
平尾杉山神社の概要
平尾杉山神社は、稲城市平尾にある神社です。平尾杉山神社の創建年代等は不詳ながら、江戸期には延徳4年(1492年)銘の懸仏が本尊で、平尾の鎮守社だったといいます。大正8年平尾村内にあった八坂神社、日吉神社を合祀したといいます。
社号 | 杉山神社 |
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祭神 | 日本武尊、弟橘姫命、須佐之男命、猿田彦命 |
相殿 | - |
境内社 | 八幡神社、秋葉神社 |
住所 | 稲城市平尾1189 |
祭日 | 例大祭9月下旬 |
備考 | - |
平尾杉山神社の由緒
平尾杉山神社の創建年代等は不詳ながら、江戸期には延徳4年(1492年)銘の懸仏が本尊で、平尾の鎮守社だったといいます。大正8年平尾村内にあった八坂神社、日吉神社を合祀したといいます。
稲城市掲示による平尾杉山神社の由緒
杉山神社
鶴見川流域に72社ある杉山神社のうちの1社であり、最も上流地域にあたると思われる神社である。
御神体は延徳4年(1492年)の懸仏であったが、江戸時代末に失われ、現在は日本武尊と弟橘姫の木像が安置されている。本殿及び拝殿は、大正14年に再建されたものである。
9月下旬に例大祭が行われる。(稲城市掲示より)
新編武蔵風土記稿による平尾杉山神社の由緒
(平尾村)
山王社
除地、七畝十五歩。小名原にあり。勧請の年代をしらず。小社にて覆屋あり、南向なり。寶泉寺の持。このしもの三社もおなじき持なり。
杉山社
除地、二段、村の中央にあり。此地の鎮守なり。神体は鏡の如き銅物にて円径九寸六分、表に不動の像を鋳出し、裏に武州児玉郡金屋村住人中村五郎左衛門家吉敬白、延徳二年壬午五月五日とみゆ。これ勧請の年月なるにや。按に延徳二年は庚戌なり。支干齟齬す。よりておもふに二は□の字にて、午は子の字の誤か。延徳四年壬子なるべし。本社はわづかなる造にして、二間四方の覆屋あり。前に鳥居をたつ。例祭は九月廿八日也。
八幡社
除地、十四歩。村の西にあり。小社なり。白幣を神体とす。
天神社
除地、五畝、字大原にあり。小社にて覆屋あり。これも神体は白幣なり。(新編武蔵風土記稿より)
東京都神社名鑑による平尾杉山神社の由緒
創建の年代は不詳である。延徳年間(一四八九-九二)社殿を再建し神鏡に「武州児玉郡金屋村住人中村五郎衛門家吉敬白延徳二年(一四九〇)五月五日」と銘がある。不動明王の懸仏があり、一名「銭丸の鏡」と古来より称している。安政二年(一八五五)社殿を造営した。
大正八年に各字に鎮座せる八坂神社、日吉神社の二社を合祀する。(東京都神社名鑑より)
平尾杉山神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿