稲荷塚古墳|多摩市百草の名所旧跡

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稲荷塚古墳|推定八角形墳とされる7世紀の古墳

稲荷塚古墳の概要

稲荷塚古墳は、多摩市百草にある名所旧跡です。稲荷塚古墳は、大栗川右岸の舌状台地上に立地する古墳で、全国的にも類例が少ない八角形墳ではないかと推定されています。古墳の全長は38m、一番外側に幅約2mほど周溝がめぐらされ、7世紀の前半頃の築造ではないかといいます。現在見えている高まりは墳丘2段目に該当しますが、明治時代に墳丘2段目を削って神社が建てられたことから、高さは半分ほどになっています。

稲荷塚古墳
稲荷塚古墳の概要
名称 稲荷塚古墳
みどころ 東京都指定史跡
入場時間 -
入場料 -
住所 多摩市百草1140
備考 -




稲荷塚古墳の由緒

稲荷塚古墳は、大栗川右岸の舌状台地上に立地する古墳で、全国的にも類例が少ない八角形墳ではないかと推定されています。古墳の全長は38m、一番外側に幅約2mほど周溝がめぐらされ、7世紀の前半頃の築造ではないかといいます。現在見えている高まりは墳丘2段目に該当しますが、明治時代に墳丘2段目を削って神社が建てられたことから、高さは半分ほどになっています。

東京都教育委員会掲示による稲荷塚古墳について

東京都指定史跡
稲荷塚古墳
稲荷塚古墳は多摩丘陵の北辺、多摩川に注ぐ大栗川右岸の舌状台地上に立地しています。凝灰岩の截石切組積で築かれた胴張り複室構造の横穴式石室を主体部とします。石室は全長約七m、玄室部高約二mです。築造年代は七世紀前半と推定されています。昭和六一年・平成二年の墳丘周囲の確認調査では周溝が確認され径約三十四mの円墳とされましたが、機内なおで十数例が知られるにとどまる、全国的にも類例が少ない八角形墳とも考えられています。平成六年の調査では、墳丘下部に一直線に並ぶ貼石が確認されました。これは墳丘裾部に配置された装飾や区画のための外護列石の可能性があります。
外塚幅三八mで幅二m周溝が廻り、その内側に復元高四mの墳丘が想定されています。二段築成で、墳丘一段目は幅六mのテラス状を呈しています。墳丘二段目は対角径二二mで、ここに主体部が構築されています。主体部の中軸線は陵角に一致しています。設計において、高麗尺(一尺=三五・五cm)が基準尺として使用されたと推測されます。副葬品の内容は不明です。周溝東北側から七世紀前半頃と想われる土師器甕・坏の破片が出土しています。現在、石室は保護のため埋め戻されていますが、平面形が分かるよう表示がなされています。(東京都教育委員会掲示より)

多摩市教育委員会掲示による稲荷塚古墳について

古墳とは、土を盛り上げてつくられた墳丘をもつ有力者の墓で、3世紀の末事から8世紀の初め頃にかけての約400年間に、全国で15万基つくられたといわれています。この稲荷塚古墳は、7世紀の前半頃につくられたものとみられ、古墳の形は全国的にも珍しい八角形と考えられます。
古墳の全長は38mで、一番外側に幅2mほどの周溝とよばれる空堀がめぐっています。その内側が長さ34mの墳丘で2段に築かれています。墳丘1段目は周溝の内側に6mでめぐる低い段で、地上から見て約2mの高まりとして残っている部分が長さ22mの墳丘2段目にあたります。もとは4mほどの高さがあったとみられますが、明治時代に墳丘2段目を削って神社が建てられたことから、半分ほどの高さになっています。
墳丘2段目には、遺体を葬った石でつくられた部屋があります。横穴式石室とよばれるもので、天井部分の石はなくなっています。全長約7.7mで、一番手前が通路である羨道、真ん中が前室、一番奥が玄室という部屋になっています。部屋のそこには握りコブシほどの石が敷きつめられています。横穴式石室は河原石などの自然石を積み上げてつくられるものが多いのですが、この古墳では凝灰岩室泥岩という柔らかい石を平らに削って加工した切石とよばれる石材を組み合わせて精巧な部屋がつくられています。また、玄室奥壁には幅約1.2m、高さ約1.6mの鏡石とよばれる一枚岩や、玄室と前室との境には高さ1.7mほどの巨大な門柱石が使用されており、当時の高度な技術をうかがうことができます。
稲荷塚古墳の石室は、木造の覆屋で露出公開してまいりましたが、非常にもろい石材でつくられており、傷みが激しくなってきたことから、薬品などによる保存修理を行い、埋め戻して保護することになりました。石室の埋まっている位置はブロック舗装で示してあります。(多摩市教育委員会掲示より)


稲荷塚古墳の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿