武蔵野神社|上谷保から毘沙門天を村の鎮守として遷宮
武蔵野神社の概要
武蔵野神社は、小平市花小金井にある武蔵野神社です。武蔵野神社は、北野中新田の開発が一段落した享保9年(1724)に、上谷保村から毘沙門天を村の鎮守として遷宮したといいます。明治維新の際、末社の猿田彦大神を村の鎮守として祭祀、武蔵野神社と改号、明治41年諏訪神社を合祀したといいます。
社号 | 武蔵野神社 |
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祭神 | 猿田彦大神 |
相殿 | - |
境内社 | 諏訪神社、御霊神社 |
住所 | 小平市花小金井8-26 |
祭日 | 4月8日 |
備考 | - |
武蔵野神社の由緒
武蔵野神社は、北野中新田の開発が一段落した享保9年(1724)に、上谷保村から毘沙門天を村の鎮守として遷宮したといいます。明治維新の際、末社の猿田彦大神を村の鎮守として祭祀、武蔵野神社と改号、明治41年諏訪神社を合祀したといいます。
新編武蔵風土記稿による武蔵野神社の由緒
(北野中新田)毘沙門社
村の中央青梅街道の北にあり。上屋三間に六間南向、内に五尺四方の祠を置。拝殿は造りかけなり。神体立像にて長一尺二寸許、前に鳥居をたつ。例祭九月三日、村内円成院持。(新編武蔵風土記稿より)
北多摩神社誌による武蔵野神社の由緒
享保七年、谷保村の野中大堅と同族の矢沢藤八らは、武蔵野新田開発願を提出して、全開墾地を十二等分してその一つを社地と寺地とすることを決め、享保九年九月三日谷保村から毘沙門天を遷座し、村の鎮守として円成院が管理していた。明治維新の際、分離独立して末社に祀ってあった猿田彦大神を村の鎮守として祭祀し、社号を武蔵野神社と唱えた。明治四十一年諏訪神社を合祀し、昭和二十六年九月二十三日郷土の護国神を配祀する。(北多摩神社誌より)
小平市教育委員会・小平郷土研究会掲示による武蔵野神社の由緒
武蔵野神社
武蔵野神社の起源は、野中新田開発のときにさかのぼる。上谷保村(現国立市)の円成院住職大堅と矢沢藤八らは、新田開発に当たり全開墾地を12等分し、その1つを社地と寺地にすることに決めた。そして、新田開発の基礎ができた享保9年(1724)9月3日、上谷保村から毘沙門天を村の鎮守として野中新田に遷宮したのである。
以来、円成院(花小金井1丁目、享保12年(1727)上谷保村より引寺)が管理していたが、明治維新の際に分離独立し、末社として祭ってあった猿田彦大神を村鎮守に祭祀して、社号を「武蔵野神社」とした。
昭和37年9月から11月にわたり、社殿の屋根葺き替えその他の大改修が行われている。(小平市教育委員会・小平郷土研究会掲示より)
武蔵野神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 北多摩神社誌