堀端野中稲荷神社|北野中新田の飛び地堀端野中の鎮守として元文元年奉斎
堀端野中稲荷神社の概要
堀端野中稲荷神社は、小平市上水南町にある稲荷神社です。堀端野中稲荷神社は、江戸時代に開発された北野中新田の飛び地堀端野中の鎮守として元文元年(1736)に奉斎したといい、明治3年村社に列格したといいます。
社号 | 稲荷神社 |
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祭神 | 倉稲魂命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 小平市上水南町1-2-15-5 |
祭日 | - |
備考 | 旧村社 |
堀端野中稲荷神社の由緒
堀端野中稲荷神社は、江戸時代に開発された北野中新田の飛び地堀端野中の鎮守として元文元年(1736)に奉斎したといい、明治3年村社に列格したといいます。
新編武蔵風土記稿による堀端野中稲荷神社の由緒
(北野中新田)小名堀端野中
村の南の方多磨川上水の南側にあり、當村の飛地なり(新編武蔵風土記稿より)
北多摩神社誌による堀端野中稲荷神社の由緒
縁起は不詳であるが伝えによると、元文元年頃善左衛門の組頭六左衛門が奉斎したと云われる。明治四年十月村社に列せられた。(北多摩神社誌より)
小平市教育委員会・小平郷土研究会掲示による堀端野中稲荷神社の由緒
野中新田は、武蔵野に開発された諸新田の中できわめてめずらしい町人請負新田である。町人請負新田というのは、新田の開発を請負、家族をつれて新田に移住し、開発が終わるとまた居村に戻ることである。
開発当初は、一村であったが、その面積が5,500平方メートルにわたる広大なために、後に野中新田与右衛門組、同善左衛門組、同六左衛門組の三組に分れた。
この時、玉川上水南の飛地、堀端野中(現上水南町)は、善左衛門組に属していた。そこで元文元年(1736)に組頭の六左衛門などが相はかって、この堀端野中の産土神として、稲荷神社を勧請遷祀したのだと伝えられている。
明治3年に村社に列せられ、現社殿は昭和26年に大改築を行い、現在に至っている。(小平市教育委員会・小平郷土研究会掲示より)
堀端野中稲荷神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 北多摩神社誌