小平神明宮|小川村の開拓に際して勧請、小川村の総氏神
小平神明宮の概要
小平神明宮は、小平市小川町にある神明宮です。小平神明宮は、小川村の開拓願が出された明暦2年(1656)に神明宮の勧請を発願、5年後の寛文元年(1661)に社殿を造営、小川村の総氏神としたといいます。天和元年(1681)当地へ遷座、明治6年に村社に列格、明治17年郷社に列格、明治42年天神社を合祀したといいます。
社号 | 神明宮 |
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祭神 | 大日孁貴尊 |
相殿 | 大山祇命、軻遇土命、菅原道真公 |
境内社 | 春日神社・八雲神社・八幡神社(東殿)、稲荷神社・秋葉神社・熊野神社・白山神社(西殿)、水波能売神・御井神 |
住所 | 小平市小川町1-2573 |
祭日 | - |
備考 | 旧郷社、神明幼稚園 |
小平神明宮の由緒
小平神明宮は、小川村の開拓願が出された明暦2年(1656)に神明宮の勧請を発願、5年後の寛文元年(1661)に社殿を造営、小川村の総氏神としたといいます。天和元年(1681)当地へ遷座、明治6年に村社に列格、明治17年郷社に列格、明治42年天神社を合祀したといいます。
新編武蔵風土記稿による小平神明宮の由緒
(小川村)神明社
除地、一町六畝廿歩、村内の鎮守なり、本社六尺四方南向、拝殿二間半に五間、鎮座の初を詳にせず、神體白幣、例祭九月十九日、神主は郡内殿ヶ谷村阿豆佐美天神の神主宮崎某配下宮崎加賀といへり。(新編武蔵風土記稿より)
北多摩神社誌による小平神明宮の由緒
この村の開発名主小川九郎兵衛が、明暦二年開拓を志し同時に神明宮境内五千坪を社地として総農民とともに創祀を奉願(延享四丁卯年十月の小川家古文書)し翌三年より開拓に着手した。入村農民も増加しその事業も進んだ五年後、寛文元辛丑年九月、西多摩郡殿ヶ谷村の延喜式内社、阿豆佐味天神社神主宮崎主馬(現神明宮社家の始祖)と協力して岸村新名ヶ谷の山上に鎮座してあった産土神を現在の北三七五m、伊豆殿堀(野火止用水)の南高台に社殿を建立してこの村の守護神として勧請斎祀した。御鎮座より二十年後の天和元辛酉年九月に現在地に遷座された。今の本殿は江戸時代の建築で唯一神明造、拝殿は文政年間の造営。明治六年十二月に村社に定められ、明治十七年二月十七日郷社に列格、明治四十二年四月二日天神社を合祀、相殿三柱はその祭神である。明治三十五年九月御鎮座三百年記念事業として神楽殿式場を建設、昭和三十八年十一月神明幼稚園を設置、昭和四十九年九月、第六十回御遷宮を記念して当社社殿改築に対し、神宮より外玉南門の御用材の譲与を受けた。(北多摩神社誌より)
境内掲示による小平神明宮の由緒
明暦二年(一六五六)小川村の開拓願と共に神明宮の勧請を発願。五年後の寛文元年(一六六一)宮崎主馬、名主・総農民の協力を得て社殿を造営、小川村の総氏神とした。今日十二社十五座の神々を祀る。御主神は大日孁貴尊と申し上げ伊勢神宮の内宮と同一神で、広く古来より「神明さま」と親しく呼ばれております。(境内掲示より)
小平神明宮の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 北多摩神社誌